ご質問ありがとうございます。
下記の通り、回答いたします。
(1)
なお書きの事情は、おそらくですが不作為犯の検討を除外する趣旨だと思うので、答案例では敢えて使っていないのだと考えます。
まず、なお書きの事情は、直ちに救命措置を講じてもAが助からなかったとするものですが、この事情はおそらく不作為犯に関するものと考えられます。
すなわち、救命措置を講じれば助かったのであれば、壺を投げた後に助かるはずだったAを、このままでは死亡すると認識してYが殊更に放置したという事情を見出し、その事情に殺人罪の不作為犯を検討する余地があると思います。しかし救命措置は意味がない旨のなお書きとなっている以上、これは救命措置を講じれば助かった(≒壺を投げた後に、助かるはずだったAを殊更に救命しなかった不作為犯を検討せよとの誘導)という事実を排斥するものなので、本問の検討で、壺投げ後に殊更に救命措置を採らなかったという殺人罪の不作為犯の検討を排除する趣旨と考えられます。
そのためなお書きは、本問で、壺投げ後に救命措置を殊更に講じなかったという不作為を受験生が深読みしてしまい、不作為犯を検討するのを防ぐための誘導だと考えます。
このように考えることで、本問のなお書きは不作為犯ではなく、傷害致死罪と正当防衛の成否・共同正犯と正当防衛の処理という本問のメインテーマだけを集中的に検討できるように配慮されたものだと考えます。
(2)
本問では、作為による傷害致死罪が成立することから、保護責任者遺棄致死罪・不作為の殺人罪は検討も論述も不要です。
ここでは、Yが怒りに任せて壺を投げつけるという作為の形で犯罪を行っているので、作為犯を検討します。保護責任者遺棄致死罪・不作為の殺人罪は、いずれも期待された行為をしないという不作為犯なので、壺を投げつけた作為犯である本問では問題となりません。
また、Yの主観面を見ると、怒りに任せているものの明確に殺意を持ってはいないので、殺人罪は罪名選択から外れます。
このように、刑法では「犯罪となる行為を的確に抽出する」ことと、「抽出した行為について、その行為の性質や態様(客観面)、行為者の主観面を総合的に見て罪名を選択する」ことの2点がキモになります。
そのため本問では、犯罪となる行為が壺投げつけという明確な作為であって不作為ではないという点、Yに殺意まではないという点を考慮して、保護責任者遺棄致死罪・不作為の殺人罪はそもそも選択・検討・論述しないのです。
また(1)で見たように、なお書きの趣旨として不作為犯の検討を排除するものと考えられるので、この点からも保護責任者遺棄致死罪・不作為の殺人罪の検討は求められていないと考えます。