ご質問いただきありがとうございます。
①について
民法1条2項の信義則は、あくまで民法上の概念ですので、刑法上の作為義務との関係で直接使用することは避けた方が安全です。
これについては、刑法以外の法令・契約上の義務が、なぜ刑法上の作為義務を根拠づけるのか明らかではないという批判があるため(『基本刑法Ⅰ〔第3版〕』83頁)、民法上の概念である信義則を、刑法上の作為義務では使わない方が無難です。
②について
まず、信義則のような一般規定により作為義務を認めるわけではありません。上記①の『基本刑法Ⅰ〔第3版〕』で述べられているような批判もあるためです。そのため、信義則は使用せず、排他的支配や保護の引き受け、条理などを作為義務の根拠として使用します。
次に本問では、不作為による殺人罪の作為義務を肯定しない方が安全です。
これは、殺人罪のような法定刑の重い犯罪においては、作為義務を基礎づける事情が2個以上必要という相場があるからと考えるのが一手です。つまり、殺人罪のように法定刑が重い罪の作為義務については、作為義務を基礎づける事情がそれなりに多くないとバランスが取れないと考えます。
そうすると本問では、過失により乙をはねたという事情があるにとどまり、そこからさらに、甲が乙を自動車の車内に入れたが病院に連れて行かなかった等の排他的支配等がありません。そのため、甲の殺人罪との関係では、作為義務を基礎づける事情が少ないことを理由に、不作為による殺人罪の作為義務までは認めないのが一般的です。
このように考えた場合でも、軽い罪である保護責任者遺棄罪における作為義務は認定できるので、不作為の殺人罪の作為義務を認めなくても問題はありません。