ご質問をいただきありがとうございます。
以下、講師からの回答をお伝えします。
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因果関係の錯誤の当てはめは、「行為者の認識した因果経過と実際に生じた因果経過が、同一構成要件内で符合しているので、故意を阻却しない」という旨を指摘すれば足ります。
この解釈論は、事実を大展開するものではなく、実際の因果経過・行為者の頭の中での因果経過が同一構成要件内で符合しているので規範に直面しており、故意は阻却しない点を述べる形になります。
危険の現実化と因果関係の錯誤については、以下の事例で説明をしてみますね。
例えば、甲がVを崖から海へと突き落として溺死させようと意図し、Vを首尾よく崖から突き落としたところ、Vが溺死ではなく頭を岩にぶつけて死んだという事案です。
この事案では、まず客観面として殺人の実行行為・結果・因果関係を認定します。すると、突き落とし(実行行為)・岩で死亡(結果)があり、突き落とし自体から海にある岩に頭をぶつける危険が現実化したとして、危険の現実化で因果関係ありとします。
ここでは、甲の主観は一旦置いておいて、実際に発生した事実を使って客観面を認定します。
次に主観面として故意を検討します。
まず、甲は「Vを海に突き落とせば死ぬだろう」という大まかな因果経過は想定していると考えられるので、一旦は故意ありとなります。
言い換えると、危険の現実化が認められるような因果経過を行為者が全く認識・予見していない場合は、錯誤論を検討することなく故意が認められません(『基本刑法Ⅰ』114頁)。因果関係は客観的構成要件の一部であり故意の認識対象ですので、その因果関係の認識が明らかにない場合には、故意がそもそもないとなります。
すると、甲は「Vが溺死する」というストーリーを思い描いていたので、岩で死亡という実際の因果経過とは認識が異なっているものの、「崖から海に突き落したら最終的に死ぬ」という因果経過の大枠自体は認識できていることから、因果関係の故意はあるとなります。
しかし、実際に辿った因果経過と犯人が頭の中で想定していた因果経過のストーリーが異なっているという事情があるため、あるはずの故意を阻却しないかというのが因果関係の錯誤です。
すなわち、一旦は故意があると判断された後に、認識した事実と異なる点についてなお故意が阻却されないかを考えるというのが錯誤論と説明されます(『基本刑法Ⅰ』105頁)。
本問に即するのであれば、「崖から海に突き落としたら最終的に死ぬだろう」という大まかな因果関係の認識自体を甲は持っているので、一旦は故意ありと判断できます。しかし、因果経過の認識のズレがあるので、このズレを理由になお故意が阻却されないかを見るのが因果関係の錯誤となります。
因果関係の錯誤では、客観面で見たように因果関係自体は危険の現実化で認められています。そして、その実行行為の危険が結果へと現実化したという大まかな因果関係の認識もあり、一旦は故意ありとなります。しかし、実際に起こった因果経過が犯人の描いたストーリー(因果経過)と異なる場合に、一旦はあるはずとされた故意を阻却するのかという問題です。
これについては、因果経過が異なるとしても、同一構成要件内での錯誤にとどまる以上、同一の規範に直面するので故意は阻却しないとなります。つまり、岩で死のうが溺死しようが、「人を殺す」という点では殺人罪という同一構成要件の規範に直面しているので、殺人罪の故意は認められるとなります。