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2021年9月7日は『令和3年司法試験』の合格発表日でした。
今日は、司法試験に3回不合格となった元受験生の立場から当時を振り返ります。
司法試験は不合格者も多数出る試験です。
この記事ではあえて「おめでとう」の文字は使わず、
辛く苦しい結果となった皆さんに向けて
ぽんぽんの体験を書いていこうと思います。
悔しくて、悲しくて、
周囲の慰めや厚意を素直に受け取れない自分が情けなくて。
明日からどうすればいいのかわからない心細さも不安も経験してきた私だからこそ、
お伝えできることがあると信じています。
私は平成29年から令和2年まで、合計4回の司法試験を受験しました。
平成29年は短答落ち、平成30年及び令和元年は論文落ちしており、
合計3回の不合格を経験しています。
初受験の平成29年度は、正直、法科大学院を卒業するのに精一杯でしたから、
終わった直後から短答落ちも覚悟していました。
実際に平成29年6月8日に短答落ちを確認して以降は
実家のある奈良に戻り、社会人受験生生活をスタートさせたわけですが
やはり、合格発表当日は非常にそわそわしていました。
発表時刻の16時には、わざわざ仕事の手を止め、スマホで自分もアクセスを試みました。
共に学んだ友人たちの合格ももちろんとても気にしていましたが、
なぜか、あるはずのない私の番号をホームページ上で確認してみたくなったからです。
ホームページ上に自分の番号があるはずないことは事前によくわかっていました。
勉強不足だったから、短答落ちして当然であることもしっかり受け止めていました。
それでも「短答不合格は勘違いだったのではないか」というような、
自分の不合格がささやかなミスであったと思いたい気持ちがあったのだと思います。
やはり、ホームページ上に自分の番号がないことを確認した後は、
スマホの電源を切ってそのまま仕事に戻り、翌日にはいつも通りの社会人受験生生活に
戻っていきました。
法科大学院では肩を並べていた友人たちから取り残されてしまった不安から、
心は多少ちくちくしていましたが、不合格の結果は変えられないもの。
受かりたかったらまた前を向いてやるしかないことはわかっていたからです。
平成30年及び令和元年は論文で不合格となりました。
どちらの年も「合格する」自信はなく、
むしろ「あのミスは大きすぎる」等、不合格可能性をどこかで自覚していました。
(自分の不合格を直視したくなくて、予備校の論文合格速報は一切見ていなかったことも自覚のひとつだったかもしれません。)
それでも確認しないわけにはいかないので
2回目は自宅で、3回目は掲示板で合格発表の瞬間を迎えました。
合格者番号が掲示される掲示板までは自宅から電車で1時間以上かかる距離にあったため
不合格の時に一人で帰る自信がなく、2回目はどうしても行く勇気が出ませんでした。
他方で3回目は、「3回目にもなると合格しているかもしれない」という何の根拠もない淡い期待がありました。
「一度くらい見に行っておくのもいいだろう」と一人電車に乗って会場に向かい、
掲示板から少し離れた位置にある柱にもたれて、16時の発表までの時間を待ちました。
この時間は約15分程度でしたが、早いような遅いような不思議な感覚だったことを覚えています。
待っている15分間、浪人生活の思い出が頭の中にぽこぽこと湧き上がっていく中に、なぜか良かった思い出はほとんどなく、
「あの時こうすればよかったな」「ここはこうした方がよかった」といった後悔ばかりが浮かんできて、なんとなく苦い、不安な気持ちでいっぱいでした。
私は当時、掲示板にどのように貼りだされるか知らなかったのですが
手元の時計で15時59分になってから10秒くらい経った瞬間、
私がもたれていた柱の後ろから、一人の男の人が数字でびっしり埋め尽くされた紙を一枚持ち、早足で歩いていきました。
一瞬目の前をかすめただけなのに
私の目の前を通り過ぎる瞬間だけは時間が止まったかのようにスローモーションになり、
そのとき、私の番号がないことがわかりました。
我に返ったのは、その後、大きな歓声が上がった時です。
改めて掲示板に張り出された紙を見に走りましたが、やはり私の番号はありませんでした。
その場を離れて人の気配がなさそうな場所に座り、まずは待っていてくれた人にLINEをした後、母に電話をしました。
「もうこんな試験受けたくない」「もうやめる」「向いてなかった」
これまで我慢していた、今までの努力を否定するようなあらゆる言葉を母にぶつけましたが、母から帰ってきたのはたった一言でした。
「今も仕事してる。早く帰ってきて仕事して」
こんな時でさえ、社会人受験生は仕事に戻らないといけない。
とぼとぼという言葉がふさわしい状況で、車内でも延々涙を流しながら1時間以上かけて実家の経営する塾(※当時の勤務先)に戻りました。
「腫れ物に触るような扱いされないかな」「鼻声がバレないかな」と不安な中、
そこにあったのは、拍子抜けするほど、いつもと何も変わらない光景でした。
かわいい生徒がいて、「先生これわからん」と質問し、誰かが宿題を忘れて、保護者が来室する。
人生が全否定されたような絶望的な気持ちだったはずなのに、合格発表の現場から一歩外に踏み出せば、そこにあったのはいつもの日常。
誰かが冗談を言うとみんなが笑って、私もつられていつしか笑っていました。
私はその日常に、本当に救われたのです。
司法試験の合格発表という、年に一度の非日常から日常に戻ることはなかなか困難です。
特に、不合格という大きなショックを受けたネガティブな状態から戻ることは、
一朝一夕でできることではないと思います。
このような時に私が心掛けていた最もシンプルな方法は、
『当たり前のことを当たり前にすること』でした。
ショックのあまり数日だらだらと過ごしてしまったり、
生産的なことをしないでぼーっとした無為な時間を重ねると、
それ自体が大きな罪悪感や自己嫌悪に繋がりかねません。
また、友達や家族等と話をすることは、
励ましをもらえたり、新たな決意をするきっかけになる等良い効果もありますが、
他方で、立ち直るまで毎日何時間も話し続けるわけにもいきません。
朝はいつもの時間に起き、身支度を整え、できるだけ食事を摂り、いつも通りの仕事や勉強に取り組む。
これまで自分が続けてきた『当たり前のこと』を途切らせずに続けることは、ネガティブな感情から少しでも離れることができるといったこと以上に、負のループに自分を嵌らせないという効果が期待できます。
とはいえ、不合格のショックをすっぱり忘れるということはほぼ不可能だと思います。
(私自身、不合格になった3回分の気持ちを思い出しては鬱々とする日がいまだにあります…)
忘れるというより、ネガティブな感情にばかり目を向けてしまうことを避け、
これからを考えるために最適な自分=落ち着いている状態にする方法、と考えて頂ければと思います。
司法試験は受験準備に非常に時間がかかり、また金銭的負担や家族のサポートも必要な最難関試験のひとつです。
掲示板に自分の番号がなかったとき、
人生が終わったような、これまでの努力がすべて否定されたような、絶望的な気持ちになったかもしれません。
しかしながら、それはあくまでもあなたの『一時的な感情』です。
その感情を抱えたままでもいいから一歩踏み出せば、
そこには『これまでと何も変わらないいつもの日常』があります。
不合格になった次の瞬間からもあなたの人生はこれまで通り続いていきます。
もう一度受験生をするのか、新たな道を選ぶのかは後でゆっくり考えるとして
まずは早急に『日常』に戻ってまずは心を落ち着かせ、
その後、これからを冷静に考えても遅くはないと私は思います。
突き付けられた現実から目を背けるのではなく、
その先にあるいつもの風景と自分の心を大切に、
またあなたが立ち上がる日を心より願っています。
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私のことは「先生」ではなく「ぽんぽん」と気軽に呼んで頂けると嬉しいです。
大阪市立大学法学部を卒業後、東京大学法科大学院未修コースに進学・卒業し、
その後は実家に戻り社会人受験生を約4年にわたり続けた末にようやく合格、
現在、第74期司法修習生として奈良で司法修習中の元社会人司法試験受験生です。
普段はTwitter(@ponponazarashi)及びnote(『司法試験cafe room』)にて 未修×多浪×社会人受験生の失敗談・後悔に基づく勉強方法を発信しつつ、 弁護士求人ナビにて法律事務所就活ライターをしています。
なお、メンタルケアについての資格を取得しているわけではないので、専門的な知見を申し上げることはありません。
2021年9月11日 ぽんぽん
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