違憲審査基準の定立の際に制限の必要性を権利の重要性の低さにとりこむことは可能ですか??

百選で営利広告の判例で「一般大衆を惑わすおそれがあること」や、ビラ配布の判例で「一般人の通行に配慮する必要がある」という考慮要素は、一見すると違憲審査基準定立の際にやってはいけないとされる制限の必要性の加味に当たると思うのですが、この考慮要素を審査基準で取り入れようとする際に権利の重要性が下がる要素として加味することは間違いでしょうか??すなわち「一般大衆を惑わす恐れのある営利広告に関する自由は権利の重要性が低い」や「一般人の通行を妨げるビラ配布の自由は表現の自由の中では重要性が下がる」といったような感じで書くのは間違いなんでしょうか??
未設定さん
2015年11月6日
その他 - その他
回答希望講師:伊藤たける
回答:1

ベストアンサー ファーストアンサー
伊藤たけるの回答

ご指名ありがとうございます。

その認識で間違いありません。
あの要素は、意見表明そのものの自由と、そうではない自由とを区別する要素であり、権利の性質に分類できます。

2015年11月14日


未設定さん
お忙しい中、丁寧な回答ありがとうございます。

二つお聞きしたい点があるのですが、「意見表明の自由とそうでない自由とを分ける要素」の説明の部分がわからないのですが、再度ご説明お願いできますでしょうか?

あとこの考え方でいきますしとH25年の憲法の被告の反論のところで「生活環境や商業活動に支障をきたすデモ活動は通常のデモ活動より権利の重要性がさがる」という反論は可能になるのでしょうか?

勉強不足で申し訳ありません。お願いします。

2015年11月14日

①最高裁は、どうやら「(政治的な)意見表明をすること」を表現の自由の中心であるととらえています。
営利広告は政治的な意見表明ではない、ビラ配布は政治的な意見表明そのものではなく手段の規制に過ぎない(別の手段での表現は制限されていない)ので、別の審査基準が適用されると考えるのです。
このあたりは、受験新報2015年11月号の拙稿をご覧ください。

②その反論は難しいでしょう。
そうではなく、デモ行進特有の法理である敵対的聴衆の法理の適用を求めることになるでしょう。

2015年11月14日


未設定さん
再度、丁寧なコメントありがとうございます。

先生の新報を読んでみます。

2015年11月15日