自己統治の価値が政治的部門以外でもあてはまるかについて

自己統治の価値とは、様々な領域での社会的決定への自由な参加を可能にして、その決定を豊かにする価値を意味する。という記述がありました。

とすると、ヘイトスピーチなど人権問題についての決定を豊かにするものも「自己統治の価値がある。」といってよろしいのでしょうか?

今までこのような場合、原告で無理やり政治に結び付けて「政治的意義を有するから自己統治の価値がある」と書いて、被告で「自己統治の価値がない」と書いて、私見で「自己統治の価値はなくはないが、政治との距離が遠い」みたいなことを書いていたのですがどうないいでしょうか。

よろしくお願いします。
未設定さん
2015年10月29日
公法系 - 憲法
回答希望講師:伊藤たける
回答:1

ベストアンサー ファーストアンサー
伊藤たけるの回答

ご指名ありがとうございます。

憎悪的表現、いわゆるヘイトスピーチについては、通常の表現活動と同じに扱うか、それとも区別すべきかがキーポイントです。

区別すべきでないという議論の1つとして、自己統治の価値があること、区別が不明確になり萎縮効果が生じることなどが挙げられますね。
その他にも、名誉毀損罪、侮辱罪などで対応可能であるから、個人的法益を害するとはいえない憎悪的表現は、通常の表現活動から除外すべきではないともいえるでしょう。

他方、区別すべきとする議論の1つとして、自己統治の価値のある表現をするためには憎悪的表現によらなくとも可能であることから、憎悪的表現そのものには自己統治の価値がないと反論するでしょう。
また、その他の理由として、対抗言論が成り立たないことも挙げられるかもしれません。

もっとも、区別できるとする場合には、これらをどのように定義するのかが難しいので、明確性を損なわないような定義付けをすべきです。

このように、単なる自己統治の価値の議論だけではなく、その他の理由付けを記載できれば、他の受験生と差をつけることができるはずです。


2015年10月29日