挙動犯であるということと、作為犯における作為義務を観念できるかという問題は、連動しないように思えます。
挙動犯は、結果犯の対概念ですが、その意味するところは、「一定の結果の発生を必要とせず、何らかの身体的挙動そのものが犯罪とされるもの」にすぎません。
たしかにご指摘のとおり、単独犯において、不作為の形式によって暴行罪を実現することはなかなか困難ですが、困難だからといっても、理論的に成立しえないわけではないと考えられます(例えば、一定の時間おきに、実子Vに対しボールを射出する機械が存在し、それを実父Aが停止することが可能かつ容易であるにもかかわらず、立ち去ったというような場合には、不作為形式による暴行罪が肯定できるようにも思えます)。
また、例えば、実母Bが実子Vに対し、殴る蹴るの暴行を加えているにもかかわらず(生理的機能障害はいまだ生じていないと仮定)、それを実父Aが特段止めることなく、ただ静観していたというような場合は、AとBが、Vを被害者とする暴行罪の共同正犯となると考えられます。
2018年10月29日