司法事実と立法事実

先日憲法の流儀と憲法起案の基礎を紹介していただいて読んだところ、憲法の理解が進みました。ありがとうございます。
憲法の問題を解くに当たって、どこまで原告の事情を抽象化して立法事実として法令違憲で書けばよいか迷っています。
例えば、吉祥寺ビラ事件では、法令違憲でかける事情は、構内でビラを配っていたことについてで、それについての権利の重要性、制約の強度などを検討し、
狭義の適用違憲では、政治的ビラを配っていたことに着目して検討すればよいという理解で良いでしょうか?
2018年7月2日
公法系 - 憲法
回答希望講師:伊藤たける
回答:1

ベストアンサー ファーストアンサー
伊藤たけるの回答

とても鋭い質問ですが。
大変勉強熱心で感心させられますし、なによりも正しい方法で学んでいることがよくわかる質問でもあります。

概ねその理解であっていますが、適用違憲では、政治ビラを配布したことのほか、本当に当時の吉祥寺駅に保護すべき利益がどの程度あったのかも大切です。
たとえば、朝のラッシュ時ならまだしも、空いていて、人通りもまばらならば、保護すべき通行の利益は乏しいでしょう。
そういった、事案固有の事情をバンバンあげていくのとが大切になります。

2018年7月2日


匿名さん
ご回答ありがとうございます。
自分が1番の憲法の試験で恐れてるのが、
どのレベルの事実が捨象されるかということなのですが、
ここのすみわけについては、伊藤健先生はどのようにお考えでしょうか?
また、法令違憲で司法事実を書いて評価した場合についても点数は入らないのでしょうか?大は小を兼ねる的なイメージではやはりダメでしょうか?

2018年7月2日


匿名さん
憲法起案の基礎p60で、防衛庁官舎ビラ配布事件においては、法令違憲の問題として考える限り官舎への立ち入りが政治的なビラ配布という司法事実は捨象され、他人の看守する住居に入ったという事実が前面に出てくると記載されていて、
自分の中では、捨象される事実は、政治的ビラであったことでわビラを配りに入ったことは、法令違憲の中での事実で用いてもいい気がしたのですが、捨象するレベルは人によって異なるのでしょうか?

2018年7月2日