ご指名ありがとうございます。
私は、そのような議論を「なんでも厳格審査基準論」とは名付けています。
研究者としてそのような主張をするのは自由ですが、実務家になりたいのであれば、裁判所が受け入れることのできる理論構築とすることが重要です。
そもそも、裁判所は、議論の理由よりも「すわり」や「結論」を重視する傾向にあります。
もし、裁判所がすわりを意識しない裁判官ばかりになれば、内閣はそのような最高裁判事を指名しないようになるだけでしょう。
優れた実務家を目指すのであれば、そのようなパワーポリティクスの観点も忘れてはなりません。
仮に、なんでも厳格審査基準論を採用したとして、ビラ貼りもOK、ビラ配布のために外の郵便受けではなく部屋のドアの郵便受けに入れるために個人の管理する敷地内に立ち入ることもOKとなってもよいのでしょうか。
私ならば絶対に反対しますし、仮に反対しないお立場でも、反対する人が相当数いるだろうという感覚がないとすればバランス感覚を欠いているとしかいえません。
表現内容規制と表現内容中立規制の二分論は、アメリカ連邦最高裁が採用した議論です。
しかし、表現内容中立規制の違憲審査基準も、現実に即して若干緩やかになっています。
日本の最高裁は、そもそも二分論すら採用していません。
そんな中で裁判所に受け入れられやすいようにするためには、まずは二分論を採用したうえで、行動を伴う表現規制については別枠とする現在の通説の到達点を力強く主張するべきではないでしょうか。
いかに論理的に説得力あるとあなたが感じる理論でも、それが社会に受け入れられなければ画餅に帰すだけです。
他人に対して「なぜ理解できないのか」と嘆くだけでは、社会は変えられません。
実務家を目指すのであれば、何が社会に説得できるのかという視点を忘れないようにしましょう。
2017年7月3日