事例がわからないので何とも言えません。
ただ、取り扱いがあることをもって拘束力があるというロジックは疑問があります。
そもそも、その取扱いが適法でなければなりません。適法でない取り扱いがあることをもって、外部化を論じるべきではないように思われます。
なお、訴訟要件における訴えの利益の場合は、訴訟要件と本案との関係が問題となり得ますが、今回は本案におけるご質問として回答します。
行政基準を適法というためには、行政基準の標準的なフレームワークで検討をする必要があります。
詳しくは受験新報をご覧いただければ幸いです。なお、採点実感講義2017年でも説明をしていますよ。https://bexa.jp/courses/view/39
概要としては、そもそも法的拘束力が生じるためには、法律上の根拠が必要です(法律による行政の原理)。
しかし、法律が行政庁に対し要件裁量、効果裁量、時の裁量などの行政裁量を認めている場合には、法律の範囲を逸脱しない限り、行政庁には裁量権が認められます。
行政庁に裁量がなければ、行政基準は単なる解釈基準であり、それが客観的な法解釈と合致するかが問われます。中有名なパチンコ球遊器に関する通達の判例がこのパターンです。
他方、行政裁量があれば、行政基準は、いわゆる裁量基準となります(審査基準か処分基準かは処分の性質によります)。
裁量基準の場合には、当該基準が、法の趣旨・目的に照らして合理的といえるのかが審査されます。
裁量基準が合理的であるとしても、形式的に適用することが合理的かは、個別事情審査義務として論じられます。
反対に、そもそも行政庁が裁量基準に従っていない場合は、信頼保護原則や平等原則の観点から問題になりますが、あくまでも合理性があることが前提です。
以上を考えると、「行政庁の運用でそうなっているから外部的拘束力がある」というのは、逆立ちした議論であるといえます。
そのような考え方があるのかもしれませんが、私の見解からすると、法律による行政の原理との関係をどのように考えているのかがいまいちわかりませんでした。
2017年4月12日