早速のご返答ありがとうございます。
鋭い指摘ですね。
まず、表現内容規制(の典型例)と同程度に違憲の推定が強ければ厳格基準が適用できるのかという点については、立場によるとしかいえません。
たとえば、ある論者は、デモ行進が一部の人にとって重要な表現チャンネルであることを理由として、その歪曲効果が大きいとして、厳格審査基準の適用を肯定しています。
他方、あくまでも表現チャンネルの話は、代替的伝達経路の基準で考慮されるので、あえて厳格審査基準の発動をするべきであるとまではいえないという立場が一般的でしょう。
次に、表現内容規制と程度に違憲の推定が強いといえなければ、代替的伝達経路の基準を用いることがあるかについても、見解によるとしかいえません。
たとえば、ある論者は、アメリカの判例を参考にして、性表現の与える害悪を除去するために、小学校の付近での性表現を禁止するような法令については、間接的・付随的規制(単純な付随的規制とは異なります)を適用して、代替的伝達経路の基準の適用を肯定します。
ただし、間接的・付随的規制というロジックの適用範囲は、性表現などのようなものに限定するべきであって、政治的表現には適用するべきではないとされています。
最後に、内容中立規制において、思想の自由市場のゆがみについてあてはめで考慮するとなると、違憲の推定の考慮要素としては、主として「国家による不当な動機のおそれ」を見ることになるのかについてですが、やや異なります。
不当な動機の恐れは、表現内容規制特有の問題であり、表現内容中立規制では、その恐れは乏しいと考えられています。
表現内容中立規制に違憲性の推定が及ぶのは、あくまでも表現の自由のもろさが根拠となります。簡単に言うと、議会制を動かすためのインフラなので、これが害されているならば立法裁量を認めるべきはないから、裁判所が違憲の疑いをもって審査するべきであるとする、ジョン・ハート・イリィなどの考え方が基礎にあります。
2016年12月19日