危険の現実化について

行為時の事情のケースでは、因果関係を危険の現実化で判断してはいけないのでしょうか。(「事例から刑法を考える(第3版)」にそのようなニュアンスの記述があったのですが。)
特に、トランク詰め込み追突事故の事例のようなケースだと、詰め込んだ人の罪責検討で行為後の介在事情の話になり、追突した人の罪責検討では行為時の事情の話になってしまうので、どのように処理したらよいのか悩んでいます。
内藤先生はどのように処理されていましたか。ご回答よろしくお願い致します。
未設定さん
2015年5月24日
刑事系 - 刑法
回答希望講師:内藤慎太郎
回答:1

ベストアンサー ファーストアンサー
内藤慎太郎の回答

確かに、危険の現実化は、行為後の介在事情の場合を無難に処理するために出てきたかんがえかたではありますが、
あまり、行為後の場合とで変わりません。
あくまでも、「行為の危険が結果へと現実かしたのか」を検討すれば良いので、まず、行為自体の危険性と死因をしっかり検討して下さい。特に前者ですね。
その上で、行為時の事情の場合は、特に当該事情の異常性(特に予見可能であったのかに着目すると良いです。この点で相当因果関係説とあまり変わりません。)には言及したいですね。予見可能で異常性が小さければ(結果への寄与度も考慮しても良いです。)、行為の危険性が結果へと現実化したと言いやすくなるでしょう。
トランク詰め込みの追突側に関して言えば、私なら、追突した側のあてはめでは、まず、追突行為自体が仮にトランクの中の人でなくとも、人の死(当該死因による死)を惹起する危険な行為であることをしっかり論述し、その上でトランクは人を入れるところではないので通常は予見できず異常性の大きな事情であると論述すると思います。
判例と全く同じ事案というのは出ませんので、結論は、他にあてはめに使える周辺事情によっても異なって
くるとおもいますが、この2つに関して主にあてはめることになるかと思います。
みなみに、h26司法試験刑法は因果関係がメインでしたが、採点実感では「自説の展開とあてはめ」が求められるとされており、相当因果関係説を採った受験生も何ら批判されていませんので、行為時の事情の場合は相当因果関係説を取るのもありかと思います。予見可能であったならば、基礎事情に加え、当該行為から当該結果が発生することが社会通念上相当かどうかを検討します。ここでも、行為自体の危険性と、結果(死因)はしっかり検討する必要があります。
ここまで、読んでいただいてお気づきになったかもしれませんが、実は、危険の現実化も相当因果関係説も字面が異なるだけで実質はほとんど変わりませんし、あてはめに使う事実も一緒なのでどちらを採ったとしても結論は同じになります。

2015年5月29日

スマホから打ったため、誤植がありましてすみません。
「みなみに→ちなみに」です。

2015年5月29日

なお、相当因果関係説では、介在事情が予見不能であった場合=因果関係なしではありませんので、あくまで基礎事情とならないだけなので、介在事情を取り除いたとしても当該行為から当該結果が発生することが社会通念上相当かどうかを検討します。

2015年5月29日


未設定さん
ご回答ありがとうございます。勉強になりました。
行為時ケースと行為後ケースが同時に問題になる場合は、前者に関しては、危険の現実化という規範を用いて相当因果関係説的なあてはめを行えばよいのですね。
そして何より説得的にあてはめを行うことが重要であるということがわかりました。
ありがとうございました。

2015年5月30日