確かに、危険の現実化は、行為後の介在事情の場合を無難に処理するために出てきたかんがえかたではありますが、
あまり、行為後の場合とで変わりません。
あくまでも、「行為の危険が結果へと現実かしたのか」を検討すれば良いので、まず、行為自体の危険性と死因をしっかり検討して下さい。特に前者ですね。
その上で、行為時の事情の場合は、特に当該事情の異常性(特に予見可能であったのかに着目すると良いです。この点で相当因果関係説とあまり変わりません。)には言及したいですね。予見可能で異常性が小さければ(結果への寄与度も考慮しても良いです。)、行為の危険性が結果へと現実化したと言いやすくなるでしょう。
トランク詰め込みの追突側に関して言えば、私なら、追突した側のあてはめでは、まず、追突行為自体が仮にトランクの中の人でなくとも、人の死(当該死因による死)を惹起する危険な行為であることをしっかり論述し、その上でトランクは人を入れるところではないので通常は予見できず異常性の大きな事情であると論述すると思います。
判例と全く同じ事案というのは出ませんので、結論は、他にあてはめに使える周辺事情によっても異なって
くるとおもいますが、この2つに関して主にあてはめることになるかと思います。
みなみに、h26司法試験刑法は因果関係がメインでしたが、採点実感では「自説の展開とあてはめ」が求められるとされており、相当因果関係説を採った受験生も何ら批判されていませんので、行為時の事情の場合は相当因果関係説を取るのもありかと思います。予見可能であったならば、基礎事情に加え、当該行為から当該結果が発生することが社会通念上相当かどうかを検討します。ここでも、行為自体の危険性と、結果(死因)はしっかり検討する必要があります。
ここまで、読んでいただいてお気づきになったかもしれませんが、実は、危険の現実化も相当因果関係説も字面が異なるだけで実質はほとんど変わりませんし、あてはめに使う事実も一緒なのでどちらを採ったとしても結論は同じになります。
2015年5月29日