ご質問ありがとうございます。
平成18年出題趣旨の立場よよれば、消極的表現の自由とは「他者の意見」を記載することを「強制されない自由」のことであり、単なる「言わない自由」や「沈黙の自由」ではありません。
「沈黙の自由」は、「自己の思想」の表明を強制されない自由のこととなります。
たばこ広告に記載される警告文の内容は、政府が言論主体となっている「他人の意見」です。
しかし、警告文に発信者の記載が二ことから、受け手は、特定販売業者(たばこ会社)の名義であると解釈し得ます。
仮に、受け手がそのように解釈するのであれば、「他人の意見」を「自分の意見」としていわされていることとなり、消極的表現の自由の問題となります。
他方、受け手が政府が言論主体であると理解できるならば、単なる「表現スペース」の提供にすぎず、消極的表現の自由の制約ではありません。この場合、スペース提供によるパッケージデザインという表現の方法の規制に該当が問題となり得ます。
この事件を「沈黙の自由」として構成することには、やや無理があります。
なぜなら、警告文の記載内容は、「他人の意見」であり、たばこ会社の意見ではないからです。
仮に、憲法19条違反を主張したいのであれば、沈黙の自由ではなく、自己の信条違反する行為の強制として、思想の自由に対する制約を主張することになるでしょう。
次に、公立学校における教員採用試験において、学生運動歴の記載を強制することの問題点は、「自己の意見」を強制することになりますから、消極的表現の自由ではなく、沈黙の自由の問題といえます。
もちろん、「信条」による「差別」として、憲法14条違反も主張し得ますが、憲法19条も同様のことを保護範囲に含めていますから、まとめて論じればよいと思います。
2020年2月23日