表現の自由の事案について

「表現の自由」のうち、「消極的表現の自由」と「沈黙の自由」の区別がよく理解できません。(沈黙の自由を21条とする方向)
「消極的表現の自由」については、たばこ広告に、その危険性を明記させる事例において問題になると思うのですが、「沈黙の自由」も自己に不利益な事由を強制されないということになるのでしょうか。
たとえば、教員採用試験(三菱樹脂事案であれば私人間なので)で、学生運動歴の記載を求めることは上記どちらに反するのでしょうか。
また、ある思想の運動に参加している人を採用しない内部方針があれば、追加で14条違反も検討という流れでよいのでしょうか。
よろしくお願いいたします。
2020年2月1日
法律系資格 - 司法試験
回答希望講師:伊藤たける
回答:1

ベストアンサー ファーストアンサー
伊藤たけるの回答

ご質問ありがとうございます。
平成18年出題趣旨の立場よよれば、消極的表現の自由とは「他者の意見」を記載することを「強制されない自由」のことであり、単なる「言わない自由」や「沈黙の自由」ではありません。
「沈黙の自由」は、「自己の思想」の表明を強制されない自由のこととなります。

たばこ広告に記載される警告文の内容は、政府が言論主体となっている「他人の意見」です。
しかし、警告文に発信者の記載が二ことから、受け手は、特定販売業者(たばこ会社)の名義であると解釈し得ます。
仮に、受け手がそのように解釈するのであれば、「他人の意見」を「自分の意見」としていわされていることとなり、消極的表現の自由の問題となります。

他方、受け手が政府が言論主体であると理解できるならば、単なる「表現スペース」の提供にすぎず、消極的表現の自由の制約ではありません。この場合、スペース提供によるパッケージデザインという表現の方法の規制に該当が問題となり得ます。

この事件を「沈黙の自由」として構成することには、やや無理があります。
なぜなら、警告文の記載内容は、「他人の意見」であり、たばこ会社の意見ではないからです。
仮に、憲法19条違反を主張したいのであれば、沈黙の自由ではなく、自己の信条違反する行為の強制として、思想の自由に対する制約を主張することになるでしょう。

次に、公立学校における教員採用試験において、学生運動歴の記載を強制することの問題点は、「自己の意見」を強制することになりますから、消極的表現の自由ではなく、沈黙の自由の問題といえます。
もちろん、「信条」による「差別」として、憲法14条違反も主張し得ますが、憲法19条も同様のことを保護範囲に含めていますから、まとめて論じればよいと思います。

2020年2月23日


匿名さん
ご回答いただきありがとうございます。
沈黙の自由を21条構成にしているものをみつけ混乱しておりました。
これを参考にして答案にいかしていきたいと思います。
ありがとうございました。

2020年2月24日