消極的表現の自由について

消極的表現の自由と思想良心の自由の違いがよくわからないです。
消極的表現の自由は、表現の受け手側から見て、強制された表現がその人に帰属すると認識されるものだと理解しています。
例えば、H28の予備試験では誓約書の書面の提出が問題となった事案で消極的表現の自由が問題になりました。
この事案を初めて見たとき、私は謝罪広告事件を想起し、思想良心の自由として構成するのではないかと思ったのですが、これでは間違いなのでしょうか。
両者の決定的な違いがわからないです。
大変初歩的で申し訳ないですが、ご教授いただけると幸いです。
2019年10月30日
公法系 - 憲法
回答希望講師:伊藤たける
回答:1

ベストアンサー ファーストアンサー
伊藤たけるの回答

ご質問ありがとうございます。
悩ましい問題であり、初歩的なものなどではありません。

そもそも、憲法上の権利の守備範囲は排他的なものではなく、同一事象で複数の憲法上の権利が制約されることもあり得ます。

平成28年予備試験では、ご指摘の通り、消極的表現の自由の問題であるともいえます。
また、「法律婚を積極的に推進」するという特定の思想の強制であるとも構成できるでしょうが、団体には内心がないとの立場からは、そのような構成は難しいでしょうね。
詳しくは、こちらの私の解説をご参照ください。
http://www.hougakushoin.co.jp/book/b244617.html

なお、本問では、そのような権利選択の問題よりも、「制約」といえるのかというところが重要ですから、あまり悩まなくてもよいのではないかと思います。

2019年10月30日