平成21年新司法試験刑事系第1問(刑法)

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財産に対する罪 - 横領罪
国家の作用に対する罪 - 司法作用に対する罪

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[刑事系科目]

 

〔第1問〕(配点:100)

 以下の事例に基づき,甲及び乙の罪責について,具体的な事実を摘示しつつ論じなさい(特別法違反の点を除く。)。

 

1 甲は,「Aクレジット」名で高利の貸金業を営むAに雇われて,同貸金業務に従事していた。甲は,「Aクレジット」の開業時からの従業員であり,Aの信頼が厚かったため,同貸金業の営業について,新規貸付けの可否,貸付金額・貸付条件等を判断し,その判断に従って顧客との間で金銭消費貸借契約を締結し,貸付けを実行する事務を行っていたほか,同貸金業の資金管理について,現金出納,取引先に対する支払や「Aクレジット」名義の銀行預金口座(以下「Aの口座」という。)の預金の出し入れ,帳簿等経理関係の書類作成・保管等の事務を行っていた。

  「Aクレジット」では,Aの口座の通帳(以下「Aの通帳」という。)及びその届出印,同口座のキャッシュカード(以下「Aのカード」という。)を事務所内の金庫に入れて保管し,同金庫の鍵は,甲が所持していた。甲は,Aの口座の預金の出し入れをする場合には,自ら金庫の鍵を開けてAのカード及びAの通帳を取り出し,これを甲の部下である経理担当の事務員に手渡した上,金額や出金先等を指示して預金の出し入れに関する事務を行わせていた。なお,「Aクレジット」では,取引先に対する経費の支払は,Aの口座から取引先の銀行口座に直接振り込むことによって行っていたが,顧客に対する貸付けは,その要望に応じて,銀行口座への振込みによるほか,現金を直接顧客に手渡して行うこともあった。

  また,甲は,自ら金銭消費貸借契約書,請求書,領収証等を確認して帳簿の記載を行い,同帳簿を自己の机の引き出しに入れて保管していた。

  一方,Aは,ほぼ毎日事務所に顔を出すものの,甲が作成・保管する帳簿及びAの通帳に目を通して収入・支出の状況を確認するだけであり,帳簿と金銭消費貸借契約書,請求書,領収証等とを突き合わせることはなかった。

  乙は,甲の部下として営業を担当する事務員であり,顧客との契約交渉,貸付金の回収等を行っていたが,経理事務は担当しておらず,Aのカードの暗証番号を知らなかった。

2 甲は,愛人との遊興のため浪費が続き,次第に金銭に窮するようになっていたところ,Aが帳簿及び通帳に目を通すだけであったことから,通帳の記載に合う架空の出金事由を帳簿に記載しておけば,Aのカードを使って金銭を手に入れてもAに発覚することはないと考えた。

  そこで,甲は,当面の遊興費として200万円を,Aの口座から,甲自身が代表者となっており,自ら通帳,届出印及びキャッシュカードを保管しているB社名義の銀行口座(以下「B社の口座」という。)に振り込むこととする一方,帳簿に広告宣伝費としてB社に200万円を支払った旨記載することとした。

  ただ,経理担当の事務員は「Aクレジット」の取引先にB社がないことを知っていたため,同事務員にB社の口座への振込手続を行わせると不審に思われるおそれがあった。そこで,甲は,営業担当の事務員である乙であれば,経費の支払先のことを詳しくは知らないはずなので,自分の不正に気付かれることはないと考え,経理担当の事務員がいない時を見計らって,乙に振込手続を行わせることとした。

3 某日,経理担当の事務員が休暇を取って不在であったため,甲は,前記計画を実行することとし,自ら金庫を開けてAのカード及びAの通帳を取り出し,事務所にいた乙に「今日は経理担当者がいないから代わりに銀行に行ってくれ。B社から支払請求が来ているからB社の口座に200万円を振り込んでくれ。忘れずに記帳してきてくれ。」と指示してAのカード及びAの通帳を手渡すとともに,Aのカードの暗証番号,B社の口座番号等を伝えた。

4 他方,この指示を受けた乙は,かつて甲の机の中にB社名義の通帳があるのを見たことがあった上,他の営業担当の事務員から,B社は甲がAに内緒で代表者となっている実体のない会社で,「Aクレジット」との取引関係が生ずることはあり得ない会社であると聞いたことがあったので,甲がB社の口座に振り込むことにより不正に200万円を手に入れようとしていることに気付いた。

  しかし,乙は,甲が上司であったことから,とりあえずその指示に従うこととし,甲から受け取ったAのカード及びAの通帳を持って銀行に向かった。ところが,自己の借金の返済資金に窮していた乙は,銀行に行く途中で,経理事務の責任者である甲が200万円を不正に手に入れようとしているのだから,甲はその範囲内ならば経理関係の書類をごまかせるはずだと考え,この機会に便乗して自分も金銭を手に入れることとした。そして,乙は,すぐにも120万円の借金の返済が必要だったことから,Aの口座から120万円を引き下ろして自己の借金の返済に充て,甲から指示された金額との差額の80万円は,甲の指示どおりAの口座からB社の口座に振り込むこととした。

5 銀行に着いた乙は,Aのカードを現金自動預払機(以下「ATM」という。)に挿入し,まず80万円をAの口座からB社の口座に口座間で直接振り込む操作を行ってB社の口座に入金した後,すぐに同じATMにAのカードを再び挿入し,Aの口座から現金合計120万円を引き下ろしてこれを自己のポケットに入れた。そして,乙は,Aの通帳にB社に対する80万円の振込みと120万円の現金出金の取引を記帳した後,直ちに同銀行の窓口に行き,自己の借金の返済のため前記現金120万円をサラ金業者の銀行口座に振り込む手続を行った。

  その後,乙は,銀行を出て「Aクレジット」の事務所に戻り,Aのカード及びAの通帳を甲に渡した。

6 乙からAの通帳等を受け取った甲は,Aの通帳の記帳内容を見て,B社に80万円しか振り込まれていない上,120万円の現金出金がなされていたことから,乙に問いただしたところ,乙は,甲に「120万円は私の方で借金の返済に使ってしまいました。あなたも同じようなことをやっているじゃないですか。私の分も何とかしてくださいよ。」と言った。

  甲は,それまで,乙が甲の不正を知っているとは思っておらず,また,乙がそのような不正をするとは予想もしていなかった。

  甲は,乙が指示に従わずに120万円を引き下ろしたことに腹が立ったが,このことがAに発覚すれば,自己の不正も発覚し,暴力団と関係があり粗暴なAにどんなひどい目に遭わされるか分からないため,そのような事態は何としても避けなければならないと考えた。そこで,甲は,乙に「分かった。お前の下ろした120万円は今回は何とかしてやるが,もう二度とこんなことはするな。」と言った。

7 「Aクレジット」では,前記のとおり取引先に対する経費の支払は,Aの口座から取引先の口座に直接振り込むことによって行っていたことから,甲は,Aの口座からB社の口座に振り込まれた80万円については,当初の計画どおり帳簿に架空の広告宣伝費を計上しておけばAに発覚せずに済むが,120万円については,現金出金であるため,架空経費の計上を装ってごまかすことは難しいと考えた。

  そこで,「Aクレジット」では,前記のとおり顧客に対する貸付けは,現金で行うこともあったので,甲は,120万円の現金出金日に,甲の友人でAと面識のない丙に対して返済期日を10日後とする現金120万円の貸付けを行ったことにした上で,その返済期日に集金した現金を強盗に奪われたように装うこととした。

8 その数日後,甲は,乙に「お前が下ろした120万円は,出金日の10日後を返済期日として丙に貸し付けたことにしてある。お前が丙の住んでいるCマンションで丙から集金して帰る途中,その地下駐車場で強盗に襲われて集金した金を奪われたことにしたい。お前は自動車のトランクに入ってくれ。俺がガムテープでお前の手足を縛り,口を塞いでやる。そうすれば,強盗に襲われたように見える。30分くらいしたら俺が警察に通報してやるから大丈夫だ。警察にはけん銃を持った強盗に襲われたと言ってくれ。」と持ちかけた。乙は,自己の借金の返済に充てた金銭の後始末であることやAが粗暴な人間であることを考えると,甲の言うとおりにするのが最も良いと思い,これを承諾した。

  なお,甲は,警察に事情を聴かれた場合に備えて,丙に対し,前記事情を一切告げずに,「『Aクレジット』から120万円を借りて10日後に返済したことにしてくれ。迷惑はかけない。」と依頼した。

9 前記120万円の返済期日とした日,甲と乙は,Cマンションの地下駐車場で落ち合った。乙は,集金の際に平素から使用している営業用の自動車に乗ってきており,これを同地下駐車場に駐車していた。甲は,その自動車のトランク内に横たわった乙の両手首と両足首をガムテープで縛り,乙の口を更にガムテープで塞ぎ,乙が鼻で呼吸できることを確認した後,トランクを閉めてその場を立ち去った。

10 その約30分後,甲は,匿名で警察に電話をかけて,「Cマンションの地下駐車場に駐車中の車のトランクの中からゴトゴトと不審な音がするから調べてほしい。」と通報した。この通報を受けて間もなく同駐車場に駆けつけた警察官により,乙は発見された。乙は,警察官に「けん銃を持った強盗に襲われて丙から集金した現金120万円とその利息を奪われ,自動車のトランクに閉じ込められた。」と説明した。

出題趣旨印刷する

 本問は,具体的事例に基づいて甲乙の罪責を問うことによって,刑事実体法及びその解釈論の理解,具体的事実に法規範を適用する能力並びに論理的思考力を試すものである。

 問題文前半は,刑法所定の財産犯に関する理解及び間接正犯ないし共犯に関する理解を問うものである。

 まず,Aに生じた合計200万円の財産的損害について,甲乙にいかなる財産犯が成立し得るかが問題となる。この検討に当たっては,刑法所定の財産犯の構成要件に関する正確な理解が必要不可欠である。その上で,本件の具体的事実関係においていかなる犯罪が成立するかを検討することになるが,その際,第1に,いわゆる「預金の占有」の趣旨・根拠についての的確な理解を前提に,Aの口座についての「預金の占有」が対銀行との関係での払戻権限を踏まえて甲乙各人にそれぞれ認められるか否かによって,成立し得る財産犯が異なることに留意する必要がある。例えば,「預金の占有」を有する者には横領罪が成立し得るものの窃盗罪や電子計算機使用詐欺罪は成立しないと解されることなどに関する正確な理解が必要となろう。第2に,本問の具体的事実関係において甲乙にAの口座の払戻権限が認められるか否かなどについて的確に事実を評価した上で,これに法的な当てはめを行い,甲乙に成立し得る財産犯を確定することが必要である。第3に,以上の検討を前提に,次に述べる甲乙の法的な関係の理解に従って,本問の事実関係に即して甲乙に成立すると考えられる財産犯の各構成要件要素の充足を検討し,最終的に甲乙の罪責を確定する必要がある。その際,単に,問題文に表れた事実を漫然と羅列するのではなく,いかなる事実がいかなる構成要件要素の該当性判断に関係があると考えているのか分かるように論述しなければ,「事実を摘示しつつ」との出題意図に答えたことにはならない。例えば,問題文に記載された各事実関係のうち,どの事実が甲乙の「預金の占有」の有無を基礎付ける事実で,どの事実が甲乙の「(占有の)業務性」の有無を基礎付ける事実であると考えているのかが分かるように「事実を摘示しつつ」犯罪構成要件要素が充足されるか否かの結論を導くことが求められている。

 次に,甲乙の法的な関係が問題となる。本問では,実際に合計200万円の預金払戻等に及んだのが乙である上,甲が当初認識していた事実と実際に生じた事実との間にそごが生じていることから,乙の行為について甲が刑事責任を負うか否かに関し,いかなる理論構成によるべきか,間接正犯や共犯の各成立要件を踏まえて検討することが必要である。その際,正犯がだれであるかが問題となり,甲を教唆犯,乙を正犯とする考え方のほか,甲を間接正犯,乙を故意ある幇助道具とする考え方などがあり得るところ,後者の考え方によるには乙が甲の意図を認識している点や乙に正犯性を認め得るのではないかとの点が障害となり得ることに留意しつつ,本問の具体的事実関係に即して論理的に考察することが求められている。さらに,乙による120万円の払戻行為に関する甲の刑事責任について,前記そごを理由に因果関係や故意を否定し得るのかどうかの検討も重要である。

 また,甲乙の罪責に関する構成によっては,共犯と身分に関する処理が必要となろう。

 問題文後半は,甲乙のいわゆる狂言行為についていかなる犯罪が成立するか,主として財産犯以外の刑法各論の基礎的な知識と当てはめの能力を問うものである。

 具体的には,監禁罪,偽計業務妨害罪,その他の国家的法益に対する罪等の成否が問題となり得る幾つかの事実関係の中から,問題文において詳細に事実が提示されている甲乙の行為で,理論上重要な問題点を含む事項について犯罪の成否を論述することが求められている。取り分け,甲が乙を自動車のトランクに閉じ込めた行為について,乙がこれを承諾していることが監禁罪の成否に与える影響に関する理論的な対立に留意しつつも,本問の具体的事実関係において当該理論がどのように適用されるべきかを注意深く検討することが必要であろう。

 最後に,甲乙に成立する犯罪相互の関係に留意して罪数判断を示すことも必要である。

 論述においては,刑法解釈上の論点に関する学説等の立場・見解の相違によって結論が異なり得る個々の問題点については,自らの採る結論のみならず,それが正当であるとする論拠を説得的に論述することが必要である。ただし,その場合,飽くまでも本問の事実関係を前提に,結論を導くのに必要な点を中心に論ずるべきであって,本問の事実関係からかけ離れた一般論や結論を左右しない論点に関する理論的対立の検討に力を注ぐのは,出題意図にかなうものとは言えないであろう。

 また,既知の判例や典型事例等の結論を,それが前提とする事実関係や本問の事実関係との相違を十分検討せずに本問に当てはめたり,逆に,自ら是とする見解に適合しやすいよう恣意的に事実をわい曲して評価したりすることも不適当と言わざるを得ない。

 本問においては,事例を丁寧に分析・評価し,基本的な刑法解釈論を踏まえて粘り強く論理的な思考を重ね,それを説得的に論述することこそが求められている。

採点実感印刷する

平成21年新司法試験の採点実感等に関する意見(刑事系科目第1問)

1 出題の趣旨について

 既に公表した出題の趣旨のとおりである。

 

2 採点の基本方針等

 出題の趣旨にのっとり,具体的事例に基づいて甲乙の罪責を問うことによって,刑事実体法及びその解釈論の理解,具体的事実に法規範を適用する能力並びに論理的思考力を総合的に評価することが基本方針である。

 その際,基本的な刑法総論・各論の諸論点に対する理解の有無・程度,事実の評価や最終的な結論の具体的妥当性などに加えて,結論に至るまでの法的思考過程の論理性を重視して評価した。

 その結果,結論の妥当性と論理的一貫性の両者の調和を意識して問題に迫り,あるいは迫ろうとした答案は高い評価に,論理的整合性さえあれば良しとして結論の妥当性を軽視したり,逆に,結論の妥当性に偏って論理的整合性を軽視したりする答案は低い評価にならざるを得なかった。

 また,問題文に示された具体的事実が持つ意味や重さを的確に評価することが求められているが,事実の持つ意味や重さを考慮せず,漫然と問題文中の事実を書き写すことで「事実を摘示し」たものと誤解している答案や,事実の持つ意味や重さについて不適切な評価をし,あるいは,自己の見解に沿うように事実の評価をねじ曲げる答案もあり,これらは低い評価となった。

 結局,無理のない自然な事実の評価をした上で,刑法の基本的解釈論を踏まえ,論理的整合性に留意しつつ適切な結論を導き出すことを心掛けることが肝要であって,このような姿勢で本問に臨めば,おのずと一定(「一つ」ではない。)の結論に到達し得るものと思われる。現に,多くの答案の結論は,おおむね一定の範囲に収まっていた。

 

3 採点実感等

 (1) 全体

 ほとんどの答案が,Aに生じた合計200万円分の財産的損害に関する甲乙の罪責を中心に論じており,これは出題意図に沿うものである。

 後半の狂言行為については,監禁罪や偽計業務妨害罪の成否を論じた答案が多く,犯人隠避ないし証拠隠滅罪の成否に触れた答案も相当数あったが,狂言行為に関する甲乙の罪責に全く触れていない答案も少なくなかった。

 (2) 具体例

 考査委員による意見交換の結果を踏まえ,答案に見られた代表的な問題点を列挙する。

ア 甲乙の関係について

 ① 甲が,乙の行為及びその結果に対し刑事責任を負うためには,甲乙の関係につき,間接正犯か何らかの共犯の成立が必要であるのに,これらの点に関する言及がないまま,Aに生じた財産的損害について甲に財産犯の成立を肯定する答案。

 ② 本件では,甲乙間に犯罪を共同実行する意思連絡は一切ないにもかかわらず,積極的に片面的共同正犯を肯定する立場であることを論述することもないまま,甲が事後的に乙の行為やAの損害を承認していることを根拠に共同正犯の成立を肯定したり,犯罪既遂後の乙の関与をもって従犯の成立を肯定したりするなど,犯罪が既遂に達した後の関与等を根拠に共犯関係を肯定する答案。

 ③ 甲乙に成立するとする犯罪が食い違うのに,それに関する説明が全くなされていない答案。

 例えば,80万円の損害について,甲に業務上横領罪の教唆犯を,乙に電子計算機使用詐欺罪の正犯を認めるもの。

 ④ 甲の乙に対する200万円に関する指示行為が犯罪に該当するとしながら,そのうちの120万円が甲の利益に帰属しなかったことのみを理由とし,甲の指示行為と乙による120万円の払戻行為との間の因果関係や錯誤の検討もないまま甲の責任を否定する答案。

 なお,考査委員からは,②のような答案の背景の一つに,問題文において主要事実が確定しているにもかかわらず間接事実の積み重ねによる事実認定を行うという誤りを犯している場合があるのではないか,④の点は,刑法の因果関係論や錯誤論によれば,一定限度で「具体的に予見しなかった結果や因果経過」についても因果関係や故意責任を肯定し得るのであるから,この点の検討を欠くのは,刑法の基本的な理解が不十分であるか断片的にしか身に付いていないものと言わざるを得ないのではないかなどの指摘がなされた。ちなみに,④の点について,明確に因果関係の有無を検討し,あるいは,甲の認識と実現結果との食い違いについて,これが(抽象的)事実の錯誤の問題なのか,法的評価の違いにすぎないのか,などの問題意識を有する秀逸な答案もごく少数ながらあった。

イ 財産犯の理解について

 ① 横領未遂罪の成立を認める答案や80万円をAの口座からBの口座に直接振り込んだ行為を窃盗罪とする答案。

 ② 同一の被害について,特段の問題意識を持たないまま複数の財産犯の成立を認める答案。例えば,80万円の送金行為につき,背任罪,横領罪,電子計算機使用詐欺罪のすべてが成立するとするもの。

 ③ キャッシュカードや通帳等の横領罪の成立を認めるのみで,Aに生じた合計200万円の財産的被害に関する犯罪の成否を検討していない答案。

 ④ 横領罪と背任罪の関係について,そのいずれを検討すべきか,両罪の区別に関する一般論を長々と論じる答案。このような点を論じても,結局は,個別の犯罪構成要件の充足を論証しない限り甲乙に成立する犯罪を確定することはできないのであるから,詳細に論述することに余り意味はない。

 ⑤ 甲の乙に対する指示時点で預金の横領が既遂に達するとする答案。

 この結論には,理論的にも実質的にも無視し得ない様々な問題(例えば,乙の行為前にAが預金を払い戻したり,第三者が預金を差し押さえたりした場合に,横領の被害をどう考えるのかなど。)があるのに,この点の検討がないままこの結論を採ることには疑問がある。

ウ その他

 ① 狂言行為それ自体がAに対する背任罪を構成するとした答案。本問で示された具体的事実関係において,果たして背任罪の構成要件の充足を判断できるか疑問と言わざるを得ない。

 ② 具体的事実を構成要件に当てはめる際,抽象的に要件を充足することを指摘するのみで,具体的にどのような法的構成なのか分からない答案。

 例えば,「自己の占有する他人の物,の要件を満たす」旨の結論だけを示し,具体的に,占有の対象が「Aの口座に預金として預け入れられた現金」たる物であることや,その所有者・占有者がだれであるかが明示されていないもの。

 ③ 場当たり的で筋道が通っていない論述や,読み手の存在を意識しているとは考えにくい論述,基本的な法律用語に関する誤字・当て字などが多数目に付く答案。

エ まとめ

 上記各例は,刑法総論や刑法所定の財産犯の構成要件の理解が不十分であるもの,それにとどまらず刑罰法規の解釈・適用に関する根本的な理解が欠如していると言わざるを得ないもの,断片的な知識や典型論点に関する一般論は一応身に付いているものの,問題解決のためにそれを活用・応用することができていないものなどであって,いずれも,低い評価とならざるを得なかった代表例である。

 もっとも,全体を見れば,問題文で示された具体的事実を抽出し,これを法的に当てはめるという姿勢は定着しつつあり,また,比較的難易度が高い問題を前に,基礎的な知識を応用して論理的な解決を目指そうとする答案も多いことが指摘でき,これらは望ましい傾向である。

 

4 今後の出題について

 出題の在り方について様々な意見があると承知しているが,新司法試験に求められる目的を十分に考慮しつつ,受験者の能力の適正な評価が可能な問題となるべく,今後も工夫を重ねていきたい。

 

5 今後の法科大学院教育に求めるもの

 前述のとおり,事実を抽出して法的に当てはめるという問題解決の姿勢は定着しつつあるものの,刑法の基礎的な理解が不十分な答案もなお散見された。その中には,刑法の基本的な原理原則ないし解釈態度がなお十分に身に付いていないと思われるものや,具体的な事実関係から離れた典型論点に関する判例・学説の結論を機械的に当てはめているにすぎないと思われるものも含まれている。

 法科大学院においては,引き続き,具体的事案に即して基本的な刑法解釈論を理解させるとともに,修得した知識を具体的事案の解決のためバランス良く総合的に使いこなす能力の涵養になお一層努めていただきたいと考えている。