基本的人権の保障 -
個人の尊重と生命、自由及び幸福追求権
基本的人権の保障 -
学問の自由
[公法系科目]
〔第1問〕(配点:100)
遺伝子は,細胞を作るためのタンパク質の設計図である。人間には約2万5000個の遺伝子があると推測されている。遺伝情報は,子孫に受け継がれ得る情報で,個人の遺伝的特質及び体質を示すものであるが,その基になる遺伝子に係る情報は,当該個人にとって極めて機微に係る情報である。遺伝子には,すべての人間に共通な生存に不可欠な部分と,個人にオリジナルの部分とがある。もし生存に不可欠な遺伝子が異常になると,細胞や体の働きが損なわれるので,その個体は病気になることもある。既に多数の遺伝子疾患が知られており,また,高血圧などの生活習慣病や癌,そして神経難病なども遺伝子の影響を受けることが解明されつつある。
遺伝子治療とは,生命活動の根幹である遺伝子を制御する治療法であり,正常な遺伝子を細胞に補ったり,遺伝子の欠陥を修復・修正することで病気を治療する手法である。遺伝子治療の実用化のためには,動物実験の次の段階として,人間を対象とした臨床研究も必要である。遺伝子治療においては,まず,当該疾患をもたらしている遺伝子の異常がどこで起こっているかなどについて調べる必要がある。それを確定するためには,遺伝にかかわるので,本人だけではなく,家族の遺伝子も検査する必要がある。遺伝子治療は,難病の治癒のための新たな可能性を有する治療法ではあるが,安全性という点でなお不十分な面があるし,未知の部分もある。例えば,治療用の正常な遺伝子の導入が適切に行われないと,癌抑制遺伝子等の有益な遺伝子を壊すことがある。さらに,遺伝子という生命の根幹にかかわる点で,遺伝子治療によって「生命の有り様」を人間が変えることにもなり得るなど,遺伝子治療それ自体をめぐって様々なレベルで議論されている。
【注:本問では,遺伝子治療に関する知見は以上の記述を前提とすること。】
政府は,遺伝子を人為的に組み換えたり,それを生殖細胞に移入したりして操作することには人間を改造する危険性もあるが,研究活動は研究者の自由な発想を重視して本来自由に行われるべきであることを考慮し,研究者の自主性や倫理観を尊重した柔軟な規制の形態が望ましいとして,罰則を伴った法律による規制という方式を採らなかった。2002年に,文部科学省及び厚生労働省が共同して,制裁規定を一切含まない「遺伝子治療臨床研究に関する指針」(2004年に全部改正され,2008年に一部改正された【参考資料1】。以下「本指針」という。)を制定した。こうして,遺伝子治療の臨床研究(以下「遺伝子治療臨床研究」という。)について研究者が遵守すべき指針が定められ,大学や研究所に設置される審査委員会で審査・承認を受けた後,さらに文部科学省・厚生労働省で審査・承認されて研究が行われている。
2009年に,国立大学法人A大学医学部B教授らのグループによる遺伝子治療臨床研究において,被験者が一人死亡する事故が起きた。また,遺伝子に係る情報の漏洩事件も複数起きた。そこで,同年,Y県立大学医学部は,「審査委員会規則」を改正し,専門機関としてより高度の倫理性と責任性を持つべきであるとして,遺伝子治療臨床研究によって重大な事態が生じたときには当該研究の中止を命ずることができるようにした【参考資料2】。さらに,同医学部は,「遺伝子情報保護規則」【参考資料3】を新たに定め,匿名化(その個人情報から個人を識別する情報の全部又は一部を取り除き,代わりに当該個人情報の提供者とかかわりのない符号又は番号を付すことをいう。)されておらず,特定の個人と結び付いた形で保持されている遺伝子に係る情報について規律した。当該規則は,本人の求めがある場合でも,「遺伝子治療の対象である疾病の原因となる遺伝子情報」以外の開示を禁止している。その理由は,すべての遺伝子に係る情報を開示することが本人に与えるマイナスの影響を考慮したからである。また,当該規則は,被験者ばかりでなく,遺伝子検査・診断を受けたすべての人の遺伝子に係る情報を第三者に開示することを禁止している。その理由は,その開示によって生じるかもしれない様々な問題の発生等を考慮したからである。
Y県立大学医学部の,X教授を代表者とする遺伝子治療臨床研究グループは,2003年以来難病性疾患に関する従来の治療法の問題点を解決する新規治療法の開発を目的として,動物による実験を行ってきた。201※年に,X教授のグループは,X教授を総括責任者とし,本指針が定める手続に従って,遺伝子治療臨床研究(以下「本研究」という。)を実施することの承認を受けた。X教授は,難病治療のために来院したCを診断したところ,Cの難病の原因は遺伝子に関係する可能性が極めて高いと判断した。Cは成人であるので,X教授は,Cの同意を得てその遺伝子を検査した。さらに,X教授はCに,家族全員(父,母,兄及び姉)の遺伝子も検査する必要があることを説明し,その家族4人からそれぞれ同意を得た上で,4人の遺伝子も検査した。その結果,Cの難病が遺伝子の異常によるものであることが判明した。X教授は,動物実験で有効であった遺伝子治療法の被験者としてCが適切であると考え,Cに対し,遺伝子治療を行う必要性等,本指針が定める説明をすべて行った。説明を受けた後,Cは,本研究の被験者となることを受諾する条件として,自己ばかりでなくその家族4人の遺伝子に係るすべての情報の開示をX教授に求めた。X教授は,Cの求めに応じて,C以外の家族4人の同意を得ずに,C自身及びその家族4人の遺伝子に係るすべての情報をCに伝えた。Cは,本研究の被験者になることに同意する文書を提出した。
Cを被験者とする本研究が実施されたが,その過程で全く予測し得なかった問題が生じ,Cは重体に陥り,そのため,Cに対する本研究は続けることができなくなった(その後,Cは回復した。)。
Y県立大学医学部長は,定められた手続に従い慎重に審査した上で,X教授らによる本研究の中止を命じた。その後,この問題を契機として調査したところ,「遺伝子情報保護規則」に違反する行為が明らかとなった。任命権者である学長は,X教授によるCへのC自身及びその家族4人の遺伝子に係る情報の開示が「遺伝子情報保護規則」に違反していることを理由に,X教授を1か月の停職処分に処した。
〔設問1〕
X教授は,本研究の中止命令(注:行政組織内部の職務命令自体の処分性については,本問では処分性があるものとする。)の取消しを求めて訴訟を提起することにした。あなたがX教授から依頼を受けた弁護士であったならば,憲法上の問題についてどのような主張を行うか述べなさい。
そして,大学側の処分を正当化する主張を想定しながら,あなた自身の結論及び理由を述べなさい。
〔設問2〕
X教授は,遺伝子に係る情報の開示(注:個人情報に関する法令や条例との関係については,本問では論じる必要はない。)に関する1か月の停職処分の取消しを求めて訴訟を提起することにした。あなたがX教授から依頼を受けた弁護士であったならば,憲法上の問題についてどのような主張を行うか述べなさい。
そして,大学側の処分を正当化する主張を想定しながら,あなた自身の結論及び理由を述べなさい。
【参考資料1】
文部科学省/厚生労働省「遺伝子治療臨床研究に関する指針」平成14年3月27日
(平成16年12月28日全部改正;平成20年12月1日一部改正)(抄録)
第一章 総則
第一 目的
この指針は,遺伝子治療の臨床研究(以下「遺伝子治療臨床研究」という。)に関し遵守すべき事項を定め,もって遺伝子治療臨床研究の医療上の有用性及び倫理性を確保し,社会に開かれた形での適正な実施を図ることを目的とする。
第二 定義
一 この指針において「遺伝子治療」とは,疾病の治療を目的として遺伝子又は遺伝子を導入した細胞を人の体内に投与すること及び二に定める遺伝子標識をいう。
二 この指針において「遺伝子標識」とは,疾病の治療法の開発を目的として標識となる遺伝子又は標識となる遺伝子を導入した細胞を人の体内に投与することをいう。
三 この指針において「研究者」とは,遺伝子治療臨床研究を実施する者をいう。
四 この指針において「総括責任者」とは,遺伝子治療臨床研究を実施する研究者に必要な指示を行うほか,遺伝子治療臨床研究を総括する立場にある研究者をいう。
五~九 (略)
第三~第五 (略)
第六 生殖細胞等の遺伝的改変の禁止
人の生殖細胞又は胚(一の細胞又は細胞群であって,そのまま人又は動物の胎内において発生の過程を経ることにより一の個体に成長する可能性のあるもののうち,胎盤の形成を開始する前のものをいう。以下同じ。)の遺伝的改変を目的とした遺伝子治療臨床研究及び人の生殖細胞又は胚の遺伝的改変をもたらすおそれのある遺伝子治療臨床研究は,行ってはならない。
第七 適切な説明に基づく被験者の同意の確保
遺伝子治療臨床研究は,適切な説明に基づく被験者の同意(インフォームド・コンセント)が確実に確保されて実施されなければならない。
第八 (略)
第二章 被験者の人権保護
第一 (略)
第二 被験者の同意
一 総括責任者又は総括責任者の指示を受けた医師である研究者(以下「総括責任者等」という。)は,遺伝子治療臨床研究の実施に際し,第三に掲げる説明事項を被験者に説明し,文書により自由意思による同意を得なければならない。
二 同意能力を欠く等被験者本人の同意を得ることが困難であるが,遺伝子治療臨床研究を実施することが被験者にとって有用であることが十分に予測される場合には,審査委員会の審査を受けた上で,当該被験者の法定代理人等被験者の意思及び利益を代弁できると考えられる者(以下「代諾者」という。)の文書による同意を得るものとする。この場合においては,当該同意に関する記録及び同意者と当該被験者の関係を示す記録を残さなければならない。
第三 被験者に対する説明事項
総括責任者等は,第二の同意を得るに当たり次のすべての事項を被験者(第二の二に該当する場合にあっては,代諾者)に対し十分な理解が得られるよう可能な限り平易な用語を用いて説明しなければならない。
一 遺伝子治療臨床研究の目的,意義及び方法
二 遺伝子治療臨床研究を実施する機関名
三 遺伝子治療臨床研究により予期される効果及び危険
四 他の治療法の有無,内容並びに当該治療法により予期される効果及び危険
五 被験者が遺伝子治療臨床研究の実施に同意しない場合であっても何ら不利益を受けることはないこと。
六 被験者が遺伝子治療臨床研究の実施に同意した場合であっても随時これを撤回できること。
七 個人情報保護に関し必要な事項
八 その他被験者の人権の保護に関し必要な事項
(以下略)
【参考資料2】
Y県立大学医学部「審査委員会規則」
第1条~第7条 (略)
第8条 医学部長は,被験者の死亡その他遺伝子治療臨床研究により重大な事態が生じたときは,総括責任者に対し,遺伝子治療臨床研究の中止又は変更その他必要な措置を命ずるものとする。
(以下略)
【参考資料3】
Y県立大学医学部「遺伝子情報保護規則」
第1条 本学部において,遺伝子に係る情報であって,匿名化されておらず個人を識別することができるもの(以下「遺伝子情報」という。)の取扱いについては,この規則によるものとする。
第2条~第5条 (略)
第6条 本学部の教職員は,いかなる理由による場合であっても,遺伝子情報を開示しないものとする。
2 前項の規定にかかわらず,総括責任者は,遺伝子検査又は診断を受けた者からの求めがある場合には,遺伝子治療の対象である疾病の原因となる遺伝子情報に限り,本人に開示しなければならない。
(以下略)
〔第1問〕
今年度も,「憲法」論文式問題は,判例及び学説に関する知識を単に「書き連ね」たような,観念的,定型的,「自動販売機」型の答案を求めるものではなく,「考える」ことを求めている。すなわち,判例及び学説に関する正確な理解と検討に基づいて問題を解くための精緻な判断枠組みを構築し,そして事案の内容に即した個別的・具体的な検討を求めている。
今年の論文問題では,設問1及び設問2の構成が従来と異なっている。
第1に,相異なる理由で行われた2つの処分にかかわる憲法問題を,設問1と設問2とでそれぞれ問う構成になっている。答える「量」が増えたことを考慮して,資料を含めた分量を減らした。そして,問題文の中で,それぞれ何が問題になるのかについて明確なヒントを書き込み,また議論が不必要に拡散しないように注を付したり,文中で(例えば,「定められた手続に従い慎重に審査した」)限定したりしている。第2に,X側の主張に対する大学側の主張を「想定して」検討することを求めている。まず,X側の主張は,理にかない,筋の通った主張を十分に行う必要がある。そして,その主張に対応する大学側の「反論」は,「見解」を展開する中でそれと一体としての議論に組み込んで示すべきものであり,「反論」では詳論する必要はなく,ポイントだけを述べればよい(例えば,指針と「規則」の違いを正当化する理由として大学の自治,あるいは研究を承認した大学としてより高度の倫理と責任を持つべきとする等の主張)。「反論」を組み込んだ「あなた自身の見解」は,詳細に検討した上で(例えば,大学の自治の憲法上の位置付け,意味内容等を論じ,研究の自由を制約する根拠としての大学の自治の主張について論じる。),説得力のある理由を述べて結論を導き出す必要がある。
今年度の問題では,大学の「規則」自体の違憲性の問題と処分違憲が問題となる。
設問1における「規則」違憲では,指針と「規則」の違い(それは,法律と条例の関係の問題でも,命令への委任の問題でもない。),そして憲法第23条で保障される研究の自由の制約の合憲性が問題となる。本問で問題となる研究は実験を伴うものであり,思索中心の研究の自由とは異なる側面を有している。また,本問での制約は,研究中止措置に向けられたものであって,何ら言論活動を禁止するものではない。したがって,本問での制約は,表現内容に基づく制約と同じものではない。
設問2における「規則」違憲では,被験者の遺伝子情報を知る権利の制約が問題となる。
知る権利は,憲法上明文では規定されていないので,憲法上の位置付けが問題となる。知る権利は,表現の自由との関係で位置付けられているが,本件の場合には,送り手の自由と受けての自由という関係でのものではない。むしろ,本問での知る権利は,憲法第13条の幸福追求権に位置付けられている自己情報コントロール権に基づく情報開示請求権といえる。
停職処分を受けたX自身は,実質的に研究の自由を制約されることになる。ただし,本件処分の違憲性を争う場合には,Xは,直接的には,Cの情報開示請求権侵害を主張することになるので,特定の第三者の権利侵害を理由として違憲主張をできるかが問題となる。違憲主張適格に関しては,判例の判断枠組みを正確に挙げた上で,それがこの問題に関する唯一の判断枠組みといえるか等も検証した上で,本件のような問題の場合の判断枠組み,そして個別的・具体的検討が必要である。
知る権利の制約の違憲性に関しては,2つの異なる問題が存在する。それは,被験者自身の情報の本人への開示の問題と,被験者以外の人の情報の被験者への不開示の問題である。前者では,すべての遺伝子に係る情報を開示することが本人に与えるマイナスの影響への考慮という理由は,いわゆるパターナリスティックな理由であり,制約を正当化する理にかなった理由といえるか否かについて検討する必要がある。後者では,その開示によって生じるかもしれない様々な問題とは何かを具体的に想定した上で,第三者への情報提供を一切認めない規定の合憲性を,取り分け被験者の疾病の性質との関係で検討する必要がある。
設問1及び設問2の処分違憲に共通する大学側の主張として部分社会論を想定した場合には,「あなた自身の見解」において,部分社会論を展開した判例の判断枠組みを本件にそのまま使用することの適切性,部分社会論自体の問題性等を論じる必要がある。また,設問2における処分違憲に関しては,取り分け,XがCに対して,Cの要望とは異なる「規則」の内容について説明していないことも,問題となる。
1 出題の趣旨の補足
論ずべき具体的事項等については,既に出題の趣旨において説明したとおりである。
憲法では,従前から新しい領域の素材を提示する出題がされているが,これは必ずしも全く新しい議論をさせようとするものではない。法科大学院の授業や基本書の記述から身に付けることが可能な基本的事項を正確に理解し,これを基に,具体的問題に即して思考する力,応用力を試すものである。その際,教科書的知識をただ答案用紙に転記するのではなく,個別・具体の事案に応じて,憲法上の問題点を発見し,説得力のある理由を付して,自らの結論を導くことが求められている。
2 採点方針及び採点実感
各考査委員から寄せられた意見・感想をまとめると,以下のとおりとなる。
(1) 全般的な印象について
ア 今回の出題でも,憲法上の争点を見抜く力が問われているところ,出題趣旨を的確に把握し,重要な論点をほぼ提起した上で,法論理的思考力を発揮しつつ十分な検討を行っている答案もあった。しかし,全体的には,答案における考察の程度,個別具体的な検討という点で,まだ不十分さが残った。受験者の能力差は非常に大きく,自分で考える力を看取することができる答案が自然と高得点になり,基本的な知識や理解を欠く者が低得点にとどまるという具合に,答案の水準には大きな開きがあり,それが点数差となって現れていた。優秀な答案は期待したよりも少なく,下位の答案には,記述内容が稚拙で,法律問題の答案の記述とは言い難いもの,記載内容が乏しく,法的な論理力,思考力を判断する前提を欠くものがあったことも指摘された。
イ 昨年と比べて資料の量が少なかったためか,問題文等を漫然と「書き写す」型の答案は減った。内容面でも,例えば,まず法令違憲の主張を行い,それが認められない場合でも適用違憲(処分違憲)を論じるというように,両者の関係の理解が適切と思われるものが増えるなど,違憲判断の方法に関する理解ができてきているように思われた。
ウ 設問1,2の双方バランスよく解答できている答案は少なかった。設問1と設問2では,総じて,設問1の方がよくできていた。設問1の解答は,多くの答案でおおむね出題意図に沿った論述となっており,設問2で差が付いたように思われる。
エ 出題では,X側の「主張」を述べた上で,Y側の「大学の処分を正当化する主張」を想定しながら,「あなた自身の結論及び理由」を記載することが求められている。この点について,X側の主張,Y側の反論,自分の見解のそれぞれを独立して書き分ける必要があると思い込んでいる答案や,最初にXの主張において,Y側の反論を先取りした主張や理由も含めて記載し,Y側の主張として同様のことを書き,更に「見解」も同じように3回同内容を繰り返すものがあった。想定されるY側の主張は,必ずしもそれを独立に詳論する必要はなく,「自身の結論及び理由」の中で,一体として議論に組み込んで示せば足りる。
また,Xの「主張」に対しておよそ通らないようなY側の主張を持ち出し,それを「見解」の部分であっさり否定するといったものも見られた。
なお,Xの弁護士としては,Xの立場に立ってどれだけ的確な主張を行うことができるかが問われるが,この点に関する論述の優劣がそのまま答案全体の出来を左右しているようにも思われた。
オ 提供された素材を読みこなし,事案に即して考える力が求められているが,いわば定型的に「問題となるのは,違憲審査基準である。」という趣旨を記載する答案が多く,旧司法試験の場合とはまた別の意味で,答案がパターン化しつつあるのではないかとの懸念がある。例えば,事案の分析をほとんどせずに,直ちに違憲審査基準の議論に移行し,一般論から導いた審査基準に「当てはめ」て,そのまま結論に至るという答案が相当数見られた。このように,審査基準を具体的事案に即して検討せずに,審査基準の一般論だけで規則の合憲性を判断するのでは,事実に即した法的分析や法的議論として不十分である。
カ 問題文や資料をきちんと読んで事実関係を把握することは,適切な論述をするための前提であるが,問題文の誤解,曲解などが目に付いた。例えば,①Y県立大学を国立大学と取り違えたり,県立大学の公権力性に気付かずY県立大学を私人ととらえ,私人間効力の問題を論じているもの,②本研究中止の処分の根拠を遺伝子情報保護規則に違反し情報開示した点にあるととらえて論じたもの,③Cが死亡した,Cの家族が遺伝子の開示を承諾したなどの事実を前提に論じたもの,④「定められた手続に従って・・・審査した」とあるのに,憲法第31条違反を中心的に問題として指摘するもの,⑤遺伝子情報保護規則においては,疾病原因となる遺伝子情報のみが本人に開示されることとされているという点を正しくとらえていないものなどが少なからずあった。
(2) 設問1について
ア ほとんどの答案は,本研究に対する中止処分を学問研究の自由の制約ととらえてその合憲性を検討し,その中の比較的多数の答案が,事例に即して,先端科学研究や医療研究の特殊性に着目してその合憲性を検討するなど,出題意図に沿う論述をしており,好印象が持たれた。また,Cが研究に同意している点については,危険治療であっても受けたいというCの意思を尊重すべきとする意見がある一方,幾ら同意しているとはいえ,専門家ではないCの同意を過度に重要視すべきではないとする意見もあるなど,具体性を持った論述も少なくなかった。なお,指針の位置付けとY県立大学医学部の規則による規制の可否については,これを検討している答案が1割程度と少数にとどまったが,両者の相違の理由,規則制定の背景・経緯を踏まえて説得力のある論述を行っている答案もあり,そのような答案は,総じて全体的にも高水準の内容となっていた。
イ 答案からうかがわれた課題としては,以下のようなものが挙げられる。
① 多くの受験者によって,憲法第23条の自由と規制に関する問題だということが理解され,その制約の限度については,それなりに記述されていた。しかし,同条が規定する学問の自由の中に学問研究の自由が含まれることの解釈を欠くもの,あるいは,学問の自由の精神的自由における位置付けについて,同条の独自の意義を説明できずに,単に,思想良心の自由を具体化したものだとしたり,表現の自由の一態様と解釈するなどの記述をするものも散見された。
② 事案に即して考えるのではなく,単純に違憲審査基準を立場によって使い分け,自分は中間の基準をとるという,パターンとして答案を記載しようとする姿勢のものも目に付いた。例えば,X側の主張として厳格審査基準,Y側として合理性の基準,自分としては中間審査の基準を採るというのが典型である。その論述過程で,具体的な事案の検討や論理の展開をほとんどすることなく,単に抽象的に,X側として,「精神的自由権だから」,「民主政の過程に影響を与えるから」学問研究の自由は重要だと記載し,Y側として,「本件のような先端医療分野では被験者の生命身体を保護する必要があるから」とし,自説における違憲審査基準については,「原告と大学側の中間を採る」というスタンスしか示されていない答案も見られた。このような内容では事案に即した検討ができているとは言えない。
③ 「明白かつ現在の危険」の基準をその本来的な意味・内容を正確に理解しないまま本件に用いる不適切な論述が散見された。
④ 憲法第23条は一方で原告(個々の研究者)の研究の自由を保障するが,他方で研究者の所属する大学の自治をも保障する。大学の自治は通常,学問の自由を保障するための制度的保障であると理解されているが,本問では,両者は対立関係にあるため,これをどう調整するのかという問題を避けて通ることはできない。この点を十分検討している答案は,余り見られなかった。
⑤ 処分の要件である「重大な事態」に本件が当てはまるかどうかの検討に終始し,憲法上の問題を論じられていない答案が少数ながらあった。
(3) 設問2について
ア Xは,Cには憲法第13条の自己情報コントロール権があり,Cへの情報の開示はこれにこたえるものであり,インフォームドコンセントの観点からも不可欠の行為であるところ,本件規則はかかるCの権利を侵害すると主張し,これに対してYは,CによるC自身の情報取得がCの自己加害につながるとしてパターナリスティックな規制を,Cの家族については同条のプライバシー権を保護する規制の必要を主張するという構造を把握できた答案があった。
イ 答案からうかがわれた課題としては,以下のようなものが挙げられる。
① 本問で問題となる人権が,被験者Cの知る権利及びその家族のプライバシー権であることに気付いていない答案が予想していた以上にあった。そのため,本件停職処分により侵害される人権に触れることなく,単に停職処分の軽重について違憲性を論じている答案や,侵害される人権を,営業の自由,職業選択の自由や表現の自由,学問成果の発表の自由ととらえる答案も見られた。
知る権利に気付いても,表現の自由との関係における一般論に終始するだけとなってしまうものもあり,「自律としての自由」と「他律であるパターナリズム」との対立構図において被験者らの知る権利を論ずるものは少なかった。また,パターナリズムの問題に一応触れても,遺伝子情報の保護という特殊性に立ち入ることなく,単に,未成年でないから規制は正当化できないといったことだけで結論付けてしまう論述になっているものもあった。また,家族の遺伝子情報をCに開示したことの規則違反を指摘していても,それがプライバシー権の問題であることを意識していない答案も少なくなかった。
② 本件処分の理由は,規則に違反する情報開示であるため,直接的には,被験者であるCの遺伝子情報を知る権利の侵害が問題になる。知る権利は自己の情報に関する限り,憲法第21条ではなくプライバシー権の発展型としての情報プライバシー権(自己情報コントロール権)として位置付けることも可能である。Cが家族の遺伝子情報を知ることは,家族の情報プライバシー権との間での衝突を生む。それをどう解釈し,どちらを優先させるかが重要な論点となるが,この点を適切に論じたものは多くはなかった。
③ 輸血拒否事件判決を理解していれば,Cに対するXの説明責任が問題になることに気付くことができたはずである。
④ 第三者の憲法上の権利侵害を理由としてXが違憲主張する適格が問題となるが,この問題に触れていない答案や,触れていても論述に適切さを欠くものも見られた。
⑤ 部分社会の法理を展開し,停職処分は大学内部の問題であって,一般市民法秩序と直接かかわらないから司法審査が及ばないと書くものがあった。富山大学判決の判断枠組みを,本件のような場合にもそのまま用いることの妥当性や部分社会論自体の問題性を論じる必要がある。
⑥ Cが何のために自己及び家族の遺伝子情報を知りたかったのかが分からなかったためか,「専門的知識に欠けるCが遺伝子情報を知っても無意味なのでCは保護に値しない」と断ずるものがあったが,このような見方を示すだけで結論とするのでは説得力のある検討とは言えない。
また,関係者の利益状況の分析をするに当たり,Cに開示された第三者の情報が家族の情報であることに着目することはともかく,単に,「家族だから本人と同視できる」,「家族であるのでプライバシー権保護の必要性が低い」とするのも,必ずしも十分な検討とは言い難い。
3 答案から見て今後の法科大学院教育に求めるもの
前記2(1)アで指摘したように,憲法に関する基本的理解が十分身に付いていないと思われる答案がそれなりにあった。法科大学院における教育を通じて,具体的事案に対応可能となるための不可欠の前提である,基本的な理解を着実にさせることが求められるであろう。
また,与えられた事実のごく一部を適当に拾って審査基準に形式的に「当てはめ」ているだけで結論が出たと考えるのではなく,様々な事実を法的観点から分析・評価し,一つの筋道立った結論を導こうとする姿勢を身に付けさせるよう促す必要があると思われる。
平成21年新司法試験考査委員(公法系科目)に対するヒアリングの概要
(◎委員長,○委員,□考査委員)
◎ 考査委員の先生方におかれては,御多用にもかかわらず,御出席いただき感謝申し上げる。本日は,率直な御意見,御感想を伺いたい。各科目からは,先に書面で御意見を提出していただいているが,それに補足することがあれば,簡潔に御発言いただきたい。
□(憲法) 憲法では,毎年,現実に起こりそうな事案や訴訟にはなってはいないが現実に起きている事案からヒントを得て,出題をしている。今回は,先端的医療にかかわる問題を出題した。今回の問題の基礎になるのは,難病に罹患した人が実験的治療を受けること,そしてそれが成功しなかった場合の研究中止という措置に関してどのように考えるのか,家族間の遺伝子情報という極めて微妙な情報を家族間で知らせる,あるいは,知らせないことをどのように考えるのか,という問題である。このような問題の存在を感じることは,憲法に関する専門的な知識を抜きにしても理解できることと思われ,純粋未修者にとっても問題の所在の把握は難しくないのではないかと思い,作成した。他方で,法科大学院には医学部等の出身者もいることを考慮し,遺伝子治療に関する専門知識の有無で答案の評価に差が出ないように,問題文中に遺伝子治療の内容を記し,かつ,問題を解くに当たってはそれだけが前提知識であることを明記し,憲法にかかわらない専門的知識の有無によって評価に差異が生じないように注意した。
憲法の論文式問題では,これまで,特定の判例や特定の学説を知っているだけでは解けないような,考えさせる問題を出題し,思考する力を見ようとしており,そのことを出題趣旨,採点実感等に関する意見,あるいは,ヒアリングで強調してきた。その良い影響だと思うが,今回は,従来に比べると,「考える」答案が増えてきていると感じた。「考える」ことを学び,答案にもそれが現れるような勉強の仕方を,法科大学院でより充実した授業内容で教えてくれればと,期待している。
◎ どの科目にもお尋ねしているが,採点基準に関する考査委員会議申合せ事項にいう「優秀」,「良好」,「一応の水準」,「不良」の4つの水準について,今回の採点実感に照らすと,例えば,どのような答案がそれぞれの水準に該当するのかをお伺いしたい。
□(憲法) 限られた時間の中で答案の水準のすべてについてお話しすることは困難であるが,初めに二,三お断りしておきたい。各水準の答案内容について述べるに当たり,設問1と設問2の各問題に分けて指摘することになるが,実際には,設問1と設問2が総合的に評価される。そして,各ランクに属する答案といっても,設問1と設問2でそれぞれ出来映えが違うなど,内容にはばらつきがある。また,答案によって,事案のとらえ方にも,論述する内容にも,ばらつきがある。したがって,これから挙げる各水準に属する答案の内容は,それだけに限られるというわけではない。さらに,あくまで相対的な評価であるということを断っておきたい。受験雑誌等で成績上位者が再現した答案が「模範答案」とか「優秀答案」として掲載されているが,そのような答案の内容が,真の意味で優秀あるいは模範であるわけではない。実際の採点においては,「考える」力が現れている部分に高い評価を与えるように,いわばメリハリをつけて評価するように努めている。
その上で申し上げると,まず,憲法違反の問題としては,大きな枠として,法令自体が憲法に反するという法令違憲のレベルの問題と適用違憲,処分違憲のレベルの問題とがあり,さらに,法令違憲は,文面上の違憲性の問題と実体的な内容面の違憲性の問題の2つに分かれる。まず,「優秀」な答案は,これをきちんと区別をして論じている答案である。実体的な憲法問題については,判例や学説を踏まえて適切に構築される判断枠組みと,問題の事実に関する認定・評価という2つのパートから検討することになるが,これがきちんと区別され,それぞれが十分に出来ていれば「優秀」な答案と言える。設問1に関して申し上げると,例えば,文面上の違憲性の問題として,全国的に制定された指針と当該大学が制定した規則とのずれが問題になる。つまり,指針には制裁規定がないのに,大学の規則には制裁規定があることの合憲性である。これに関して,もし大学側の主張として大学の自治を挙げたときには,大学の自治というのは,従来は学問の自由を保障する制度的保障として考えられており,学問の自由と同じ方向を向いているにもかかわらず,ここでは大学の自治を理由として,構成員の研究を中止することができるということになるので,大学の自治と研究の自由とが対立することになる。「あなた自身」の見解のところで,大学の自治について従来一般的に言われていたことと違う面が出てくることを踏まえた論述がなされていると,非常に良い答案ということになる。設問2について申し上げると,例えば,ここでは違憲性の問題として,実体的な法令違憲の主張に関し,憲法訴訟上の問題も出てくる。大学教授のXが処分された理由は,規則に反して,被験者であるCに対し,本人のすべての遺伝子情報と家族の遺伝子情報を教えたということにある。そこで憲法上問題になるのは,直接的にはX教授の研究の自由の問題ではなく,Cの自己情報コントロール権や家族のプライバシー権であるということになる。そうすると,憲法訴訟上,第三者の権利侵害を理由として違憲主張をすることの可否,つまり違憲主張適格が問題となるので,これを適切に論じている答案は,良い答案ということになる。さらに,設問2において,規則では,被験者本人に対してもすべての情報を教えてはならず,第三者には一切の情報を教えてはならないと規定しているが,その実体的な内容の点での合憲性が問題となる。そこでは,そのような規定の根拠,すなわち,パターナリズムに基づく規制であるということに気付き,憲法13条の公共の福祉論という誰でも必ず学習する基本的な議論の中でそれがどのように位置付けられるのかということを考える答案は,「優秀」な答案である。
「良好」な答案や「一応の水準」の答案というのは,まさに相対的な問題であるので,「優秀」といえる答案と比べたときに,検討の深さや問題点の把握の程度がやや不十分であるようなものは「良好」に当たるであろうし,比喩的に言うと,「優秀」に属する答案と比べたときに半分程度の出来であれば,「一応の水準」に当たることになるであろう。「不良」な答案の内容については,より明確に指摘できる。例えば,文面上の違憲性の問題として,規則の「被験者の死亡その他…重大な事態」との文言の明確性が問題になり,これは必ずと言って良いほど受験者が書く論点だが,今回の問題の事例は,専門家である大学教授の間での基準であるので,いわゆる徳島市公安条例事件判決に言う「通常の判断能力を持つ一般人」の基準をそのまま適用するのは適切ではない。判決の事例との違いを意識せずに,機械的にそのまま判例の基準を書いて結論を出してあるようなものは,「不良」ということになる。また,例えば,受験者が書きたがる二重の基準とか優越的自由とか自己統治とかいうことを定型的に書いただけで結論を述べる答案は,「不良」な答案である。本件の場合には,机の上の思索による研究ではなく,実験を伴うものであって,当然に被験者がいて,その生命や健康が害されることがあり得るわけであるから,精神的自由が絶対的に保障されるとは言えない事案であるにもかかわらず,事案に即して検討することもなく,単なるパターンに基づいた答案は,「不良」である。さらに,具体的な事案を無視している答案も,「不良」である。例えば,遺伝子治療に関する受験者の知識によって解答が左右されないよう,問題文の本文中に遺伝子治療の内容を示し,それを前提として解答を求めることとしたし,県立大学であると明記し,処分に関する手続に関しても「定められた手続に従い慎重に審査した」と記載してある。それは,私人間効力論を論ずる必要も,適性手続論を論ずる必要もないということを示しているが,問題文を無視してそれらを論じているようなものは,「不良」ということになる。もっとも,必ずしもこのような部分が一つあったら直ちに答案全体として「不良」と評価されるということではない。「不良」と評価される答案は,このような部分がいくつも重なっているものである。
最後に解答の体裁に関して申し上げておきたいことは,フェア・チャレンジの精神を忘れないで欲しい,ということである。具体的には,毎行必ず行の頭を大幅に空けて書き,例えば,一行の3分の2ぐらいしか書いていない答案がある。採点実感等で注意をしてきているので,その数は減ってきており,良い傾向であると思っているが,なお散見される。「枚数稼ぎ」などせず,答案用紙に思う存分に自己の力を示して欲しい。
□(憲法) ただ今の御発言に付け加えて,採点を担当した実感を率直に申し上げたいと思う。採点して率直に思ったのは,受験者の能力差が非常に大きいということである。法科大学院で良く勉強しているなと思わせる優れた答案は確かにあるが,下位答案が非常に多い。そのため,採点結果としては,先ほど言及されたような「不良」な点が一つ二つあっても,答案全体として見ると,なかなか「不良」の部類には入らず,「一応の水準」に入っているのではないかと感じる。実際に「不良」の評価とされた答案は,違憲審査基準を用いるという形式すら備えていないもの,憲法上の問題点に全く触れずに規則違反かどうかという問題のみを論じているものなど,明らかに内容的に不十分な答案が専らではないかと思う。例えば,設問2では,家族の遺伝子情報が同意のないままCに開示されたことに全く触れていない答案が予想以上に多かったが,私の感覚では,その半分程度は「一応の水準」ないしは「良好」な答案の中に入ってしまっていると思う。
◎ では,行政法の先生方は,いかがか。
□(行政法) 行政法は,新司法試験で新しく入った科目であるので,当初は,受験者も教える側も戸惑いがあったと思うが,今回は,基本的な問題であったということもあり,実力差がそのまま評価に反映されたと言えると思う。そういう点では,受験する方と教える方のそれ相応の努力が見られるようになったと思う。行政法として最も重視しているのは,行政法規は非常に多いので,新規の行政法規にぶつかった時に,決してめげることなく,それを読み解き,目の前にある事実に当てはめて結論を出すということを自力で出来るようになって,法曹界に出て行っていただきたい,そのような能力を見たいということが主眼である。そのような力があるかどうかによって,結局,答案の内容が分かれているということであって,つまり,法的な三段論法がきちんとできるいわば基礎体力があるかどうかということが基本的な分かれ道だと感じる。それが全体的な採点の実感である。
◎ 引き続き,考査委員会議申合せ事項にいう「優秀」,「良好」,「一応の水準」,「不良」の4つの水準について,今回の採点実感に照らすと,例えば,どのような答案がそれぞれの水準に該当するのかをお伺いしたい。
□(行政法) 「優秀」に属する答案としては,第一に,事実の分析が的確であるもの,例えば,原告適格を判断する場面であれば,当事者が原告としてどのような利害を主張しようとしているのかを具体的な事案に即してきちんと書き分けてあるようなものである。第二に,法文の理解が正確であるもの,例えば,建築基準法や条例がそれぞれどのような利益を保護しようとしているのかということを,まず自分で確定し,こなれた論述で事実を法文に当てはめて,自分なりの答えを出しているというものである。要するに,日々の地道な学習の成果が自然に現れているものである。例えば,原告適格の問題について言うと,建築確認の根拠法令である建築基準法や関連条例を的確に理解している,あるいは,建物完成後の訴えの利益の問題にも言及し,実体法上の問題としては,接道義務違反や距離制限違反について落とさずに解釈を示せているようなものが,これに当たる。「良好」と言えるものは,相対的に「優秀」に準ずるものであるが,あえて少し誇張して申し上げると,傾向として,設問1の行政事件訴訟法プロパーの問題の方は,多くの受験生がそこそこ出来ているが,設問2の実体法の問題になると,同じ人が書いたと思えないほど,がくっと力が落ちてしまっていて,本当に基礎体力があるのだろうかと感じさせるような答案が相当数ある。どれだけ日ごろの学習の中で行政法規に親しんで実際に自分でチャレンジして読み込んできたかということが,結局は「優秀」と「良好」を分けるというような気がする。非常に雑ぱくに申し上げると,「一応の水準」に当たる答案は,言及すべき問題点が欠けている,論述が不十分である,あるいは,誤った論述が含まれているというようなことであるが,全体としては,自分の頭で一応問題を発見して,それなりに事案に答えを出しているというものになると思う。「不良」と言うのは,例えば,具体的な事実を見ないで書いているとしか思えないようなもの,目の前にある事実との関係は一切無く,自分が教わってきた抽象的な原告適格の最高裁判決のテーゼのみを書いて,原告適格が認められるとしているようなたぐいのものが多い。勉強した形跡はあるが,事実の分析がなく,根本的な能力が身に付いているかが疑問に思われるようなものである。また,当たり前のことのようだが,実体法の解釈を的確に行える能力があるのかが疑問に思われるようなものも挙げられる。例えば,今回の出題では,児童公園から一定距離を置かなければならないと法文に書かれていたときに,それは別に児童公園自体が大事なのではなく,そこに出入りする児童の安全のことを考えたという趣旨であれば,児童公園に類するような他の施設があれば,やはり同じような考慮が必要なのではないかというところから説き起こして,目の前にある事例に答えを出すことを予定しているが,その条文が何を考えて何を守ろうとしているのかということについて踏み込まないまま,ただ子供の安全が脅かされるからとして結論を出したり,更にひどいものは,原告適格が認められるべきだという結論だけで,その間の思考の過程が全く追えないような答案である。そういった答案については,多くの考査委員が不良だとして挙げており,実務家の考査委員からも,せめて基礎体力は早いうちにしっかり養ってもらいたいということを言われている。行政法としては,そのような基本的な能力の見極めをすることに主眼を置いた。あとは,こなれた分かりやすい文章を書けるかどうかというのが基礎になり,それが答案全体の出来にも影響しているのではないかと考える。
○ 憲法の先生方にお伺いしたい。下位答案が多いということであるが,法科大学院で学習することよりも司法試験で求められている課題が高いのではないかという指摘をする者もいると思うが,その辺りについてどのようにお考えになっているか。
□(憲法) 先ほどの説明をお聞きになると,非常に高度なことが求められていると感じるかもしれないが,採点に当たっては,良いところを見付けて高く評価するという,温かい目で見ていると私どもは思っている。この問題は,一見すると非常に難しく見えるかもしれないが,きちんと問題文を読んでいけば,必ずそれなりの答えが出てくる問題ではないかと思う。憲法や人権というものの考え方を真に理解しているとは思えないような答案があるのは事実であり,そのような答案には低い評価を与えざるを得ない。例えば,学問の自由は精神的自由権であるから絶対不可侵であるということで,被験者が重体になろうがなんだろうが構わないというような答案がある。そのような答案しか書けないのに実務家になれるということには非常に不安を覚えるが,それでも最低ライン点以下とはならない場合もあろう。
○ 行政法で,設問1と設問2とで同じ人が書いたとは思われないような答案が相当数あったという説明であったが,設問2というのは,まさに行政実体法における法的思考力を問うという観点で,非常に良い問題であると思う。そうすると,第1問の方は,逆にそれほど思考力を要しなかったということになるのだろうか。
□(行政法) 行政事件訴訟法に規定されている訴訟類型は限定されており,訴訟要件に関する判決もある程度限定されるので,おそらく法科大学院でもそういったことはしっかり力を入れて教えていると思うし,ある程度集中的に訓練すれば,一定程度の点数は取れるようになると思う。ただ,実体法の方は,目先が変わると実際には問題の本質は何も変わっていなくても,それを見抜けずに,その前で立ち止まってしまう。だから本当には理解していなかったというところがそこで露呈するというのが,毎年見られる傾向である。
○ 実体法に関する法的思考力が一番大事なところであるし,それこそ問いたいところであるように思われる。しかし,その部分では多くの受験者が低いレベルで競っているとするならば,結局のところは,行政法で言うと,設問1でどれだけ得点を稼いだかが合否のポイントになってきてしまうのではないか。
□(行政法) 実体法のところできっちりと実力を示した人は,非常に大きなアドバンテージを持つことになると思うが,他方で,実体法で差が付かないと訴訟法の基本的な知識の有無で差が付いてしまうこともあり得るので,出題に当たっては,更に工夫をしたいと考える。